まずは会津へ来らんしょ! 2017年は大政奉還、2018年は戊辰戦争150周年、会津に残る幕末維新ゆかりの地
2017年5月22日 更新

まずは会津へ来らんしょ! 2017年は大政奉還、2018年は戊辰戦争150周年、会津に残る幕末維新ゆかりの地

今年は大政奉還150周年の節目の年。福島県会津若松市は京都守護職を務めた会津23万石・松平容保公のお膝元です。会津戊辰戦争の舞台となった会津若松市では、今年と来年、様々な関連イベントを予定しています。その中から今年開催するイベントと、会津戊辰戦争へと至った会津の歴史、そして会津若松市に行ったら是非訪れて欲しい名所旧跡をご紹介します。

重久直子重久直子

”会津魂”の礎を築いたスーパー名君、会津藩祖・保科正之

会津藩祖・保科正之

会津藩祖・保科正之

会津の歴史と魅力、そして誇りと悲劇を語る上で欠かせないのが、会津藩祖・保科正之の存在です。

古くから東北地方の重要拠点だった会津は、蘆名直盛、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明と、名だたる戦国武将達が統治した後、江戸時代になると保科正之が統治しました。

会津といえば「ならぬものはならぬのです」の『什(じゅう)の掟』が有名ですが、この言葉に象徴される“会津魂”の礎を築いたのが、この保科正之です。

実の父は二代将軍・徳川秀忠。お江に見つかれば命の危険も。養育したのは武田信玄の娘。

保科正之は二代将軍・徳川秀忠の四男でしたが庶子でした。秀忠の正室は、NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国』の主人公にもなったお江(織田信長の妹・お市の方の三女で、茶々の妹)でしたが、大変な恐妻だったため、正之は出生を隠され、武田信玄の娘・見性院によって育てられました。
お江として知られる崇源院像(京都養源院所蔵)

お江として知られる崇源院像(京都養源院所蔵)

やがて正之は信州高遠藩主・保科正光の養子になり、高遠3万石、山形最上20万石を経て、32歳の時に会津若松23万石の藩主になりました。

三代将軍・家光の信頼篤く、天下の副将軍に

三代将軍・徳川家光は、自分に保科正之という有能な異母弟がいることを知り大変喜びました。そして正之を幕政に参加させ、臨終の際には正之を枕元に呼び「徳川将軍家とまだ11歳の四代将軍・徳川家綱を頼む」と言い残しました。

正之は四代将軍・家綱の輔弼役として、幕府の政策を武断政治から文治政治へと転換させ、天下泰平の徳川の世の基礎をつくりました。
また『明暦の大火』の復興では、焼失した江戸城天守閣の再建より、町づくりの方を優先し、江戸の町が百万都市へと発展する基盤をつくりました。

そして会津藩政では、飢饉に備えて米を備蓄する『社倉制度』や、『高齢者への年金支給』を行いました。年金制度は1889年のドイツ帝国・ビスマルクによる『年金保険』が世界初だと言われていますが、正之はそれより226年も早く会津で実施していたのです。

誠実に守った徳川将軍家への忠孝

徳川将軍家に一心に勤めた正之は『会津家訓十五箇条』を制定する際、その第一条に「大君の義、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず、若し二心を懐かば、則ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず」と掲げました。

これは「徳川将軍家への忠誠心は絶対のもので、他藩の考えを判断材料にしてはいけない。もしこの教えに背く心を抱いたら、その時は我が子孫ではないから、家臣は主君に従ってはならない」というものです。

この”徳川将軍家に対する忠孝の精神”は幕末まで受け継がれましたが、会津の悲劇、つまり会津戊辰戦争の原因となった『京都守護職』の要請を、苦渋の末に受け入れたのも、この徳川将軍家への忠孝からでした。
会津藩主・松平容保

会津藩主・松平容保

松平容保が京都守護職を引き受け、会津藩士千人を率いて上洛した時、京都の人々は大歓迎し「会津肥後(あいづひご)さま、京都守護職つとめます。内裏繁盛(だいりはんじょ)で公家安堵(くげあんど)、とこ世の中ようがんしょ」という歌が流行るほどでした。

幕末維新、会津の悲劇とは

幕末の京都は過激な尊攘派による天誅騒動が相次ぎ、大変治安が乱れていました。そこで幕府は京都守護職という新しい警察組織を設置し、その仕事を担う藩の選定を始めます。
しかしリスクの大きいこの役目をどの藩も引き受けようとせず、会津藩も様々理由から、再三辞退を申し入れていました。
ですが、”徳川将軍家への忠誠心は絶対”とする会津藩の『家訓十五箇条』を持ち出され、苦渋の末にこの要請を受けざるを得なくなったのです。

京都守護職を任された会津藩は、孝明天皇からの信頼も篤く、京都見廻組や新撰組などを配下に京都の治安維持にあたり、討幕派の過激派浪士を追放するなどの成果をあげました。

しかし情勢が一転し、大政奉還後の戊辰戦争では、会津は長州藩や薩摩藩などを中心とする討幕派=新政府軍に攻められることになり、会津戊辰戦争の悲劇へと至ったのです。
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重久直子

重久直子

歴史ライター&シナリオライター。歴史系ウェブサイトや歴史雑誌に原稿を寄稿したり、映画やドラマに関する活動をしています。幕末や戦国時代、会津や土佐、鹿児島、北陸、出雲、澁谷、神社などに特に興味があります。歴史を知ると自分のことも誇れるようになると思います。そして自分や自分の祖先、そして住んでいる町のことも、もっと好きになると思います。祖先達が見てきた様々な時代を、祖先達から受け継いだ自分の細胞、一つ一つで感じていきたいと思っています。

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