九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」
2017年6月14日 更新

九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」

元亀3年(1572年)、現在の宮崎県えびの市付近において行われた伊東義祐と島津義弘の合戦「木崎原の戦い」(きざきばるのたたかい)。少数の兵力だった島津側が、伊東側に勝利したことから「九州の桶狭間」とも呼ばれています。

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鬼島津と呼ばれ、現在も歴史好きからカリスマ的人気を誇る...

鬼島津と呼ばれ、現在も歴史好きからカリスマ的人気を誇る島津義弘

伝説的な強さを誇った戦国武将、島津義弘―。島津4兄弟の次男として、2人の弟・歳久、家久と共に、長男である第16代当主・義久を支えました。

関ヶ原の戦いで敵中突破した「島津の退き陣」をはじめ、朝鮮出兵で明・朝鮮の連合軍約5万(諸説あり)を7千人の兵力で破った慶長3(1598)年「泗川(しせん)の戦い」など、その勇猛ぶりはよく知られています。

その伝説の始まりともいえるのが元亀3(1572)年、日向国南部(現在の宮崎県えびの市)で行われた「木崎原の戦い」です。

「九州の桶狭間」と呼ばれる木崎原の戦い

元亀2(1571)年に、義弘の父である第15代当主貴久が死去してしまいます。その隙を狙ったのが、日向の戦国大名・伊東義祐です。翌年、一族の伊東祐安に約3千人の兵を預け、島津領だった日向国南部の真幸院と呼ばれる地域に攻め入りました。

元亀3(1572)年5月3日夜、三ツ山城(小林市)を出発した祐安は全軍を二つに分け、一隊を義弘の妻子と家来50人が守る加久藤城の攻撃に向かわせます。しかし、間者からの情報で伊東軍の動きを把握していた義弘は、翌4日に手勢130人を率いて居城である飯野城を出発。さまざまな計略で伊東軍を誘い込み、各地から駆けつけた味方を合わせ約300人で、木崎原の伊東軍を包囲する形で決戦に持ち込みました。

正面から突撃した義弘の本隊は一時、兵力差に押されて退却しますが、ただちに態勢を立て直して踏みとどまります。そこに背後や側面で待機していた味方が攻撃を開始して伊東軍は総崩れとなります。退却の途中、総大将の伊東祐安は討ち死。このほか有力武将14人をはじめ士分、雑兵合わせて800人余りが戦死するという歴史的な敗北を喫しました。

少ない兵力にもかかわらず、総大将を討ち取って勝利したことから「九州の桶狭間」とも呼ばれています。ただ、織田信長が手薄な敵の本陣を急襲したとされる桶狭間の戦いとは異なり、義弘は10倍の敵に真っ向から挑んでいきました。このため、島津軍も将兵の8割が討ち死するという壮絶な戦闘となったのです。しかし勝利を収めたことで島津氏は悲願だった3州(薩摩、大隅、日向)制圧に大きく前進したのです。

えびの市の木崎原古戦場跡には「三角田」と呼ばれる緑地がありますが、そこは両軍が激戦を繰り広げ、義弘自らが伊東軍の武将、伊東進次郎を討ち取った場所です。
三角田

三角田

また義弘を守って久留半五左衛門、遠矢下総守、富永刑部、野田越中坊、鎌田大炊之介、曽木播磨の6人の重臣が討ち死にした場とも伝えられています。周辺には、合戦後に島津軍の将兵が血に染まった刀を洗ったとされる「大刀洗の川」、その近くには伊東軍の戦死者の首を埋葬した「首塚」、また義弘が敵味方の戦死者を弔うために建立した「六地蔵塔」などが残されています。
六地蔵塔

六地蔵塔

島津だからなせる戦法・釣り野伏せ

木崎原合戦で採用された作戦は、島津が得意とした「釣り野伏せ」でした。これは中央の部隊がわざと退却して敵を誘い出し、それを左右に待機させていた伏兵が攻撃するというもの。

中央の部隊も逆襲に転じて三方から包囲殲滅するという、少数の兵力で多数の敵を破るのに効果的な戦法とされます。前述の泗川の戦いや豊後の大友氏を破った耳川の合戦、龍造寺隆信を討ち取った沖田畷の戦いなど、島津氏は重要な合戦で釣り野伏せ、またはその応用形の戦法で勝利しています。ユーラシア大陸を制覇したモンゴル軍も似たような戦法をたびたび用いました。

優れた統率と機動力が必要とされますが、カリスマ性のある指揮官・義弘と、主君のため命がけで戦う家臣団がいた当時の島津氏だからこそ実行できる戦法だったといえます。
鎌倉時代から続く島津氏でも、抜きん出た勇猛ぶりを天下に轟かせた義弘と兄弟たち。その記憶は人々の心に刻まれ、西南戦争に至るまで「武勇の薩摩」のイメージが定着したのでしょう。

(黄老師)
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