第1回:桶狭間の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ】
2018年5月18日 更新

第1回:桶狭間の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ】

歴史ナビゲーターの長谷川ヨシテルさんが古戦場をレポートする連載がスタート。第1回は「桶狭間の戦い」です。織田信長が今川義元を討ち取り、天下統一への足掛かりとした合戦はどんな場所で行われたのか?信長の足跡を辿りながら、合戦の経緯とゆかりの地をご紹介します。

長谷川ヨシテル/れきしクン長谷川ヨシテル/れきしクン

歴史ナビゲーター・歴史作家の長谷川ヨシテルです!
ユカリノでは様々な方が様々なテーマで連載をしていますが、私は「古戦場」をテーマにさせていただこうと思います。
今回は永禄3年(1560)の5月19日に起きた「桶狭間の戦い」の古戦場をご紹介します。

・・・ということで、私は今「清洲城」に来ております。

信長が『敦盛』を舞って出陣した「清洲城」(愛知県清須市)

清洲城

清洲城

via 写真提供:長谷川ヨシテル
長谷川(以下・長谷)「永禄3年(1560)5月19日に起きた『桶狭間の戦い』は織田信長が今川義元を討ち取って天下統一への足掛かりとした合戦でございます。

・・・とまぁ、私が普通に古戦場を紹介しても味気ないと思いますので、今日はスペシャルゲストにお越しいただいております。『桶狭間の戦い』に参加したという織田家の足軽の『雅楽之介(うたのすけ)』さんです。よろしくお願いします!」

うたのすけ(以下・うた)「はい、よろしくお願いしますー!」

長谷「雅楽之介さんは、天文年間の生まれと聞きましたが?」

うた「そうそう、天文10年の生まれ。信長様の7個下」

長谷「あ、西暦で言うと1541年ですね。桶狭間の戦いの時はおいくつだったんですか?」

うた「えーーーっと、20歳だな」

長谷「あ、働き盛りだったんですね。では、今日は当時のことを思い出していただきながら、古戦場を紹介していただければと思います」

うた「承知承知〜」

※雅楽之介さんは架空の人物です(笑)。
清洲城跡の信長と濃姫の銅像

清洲城跡の信長と濃姫の銅像

via 写真提供:長谷川ヨシテル
長谷「桶狭間の戦いということなんですが、ここは清洲城の跡ですよね?」

うた「戦場にはなってないけど、ここは外せないだろ〜!だって、信長様はこの城で『敦盛』を舞ってから出陣したんだから」

長谷「あ、そうでしたね」

うた「この銅像も勇ましな〜。こんな感じだったな〜、信長様」

長谷「信長さんといえば、わずか5騎で出陣したと言われているんですが、まさかその中に雅楽之介さんが…!?」

うた「いや全然。いないいない。敦盛を舞った話も後で聞いたし。俺は戦いの直前で何とか合流したから。銅像も似てるかどうか、正直分かんない。雰囲気で言っちゃった」

長谷「あ、そうなんですね・・・(笑)」

うた「そうだよ、そんな家臣ばっかりだよ。だって信長様って黙って勝手に出陣しちゃうんだから」

長谷「なるほど(笑)。ちなみに、かつての清洲城は今の模擬天守が建っている場所の対岸にある、信長と濃姫の銅像がある場所みたいですね」

うた「そうそう、あんな立派な天守は当時は建ってないしな。じゃあ、次の史跡を紹介するわ」

長谷「お願いします」

戦勝祈願をした「熱田神宮」(愛知県名古屋市)

熱田神宮

熱田神宮

via 写真提供:長谷川ヨシテル
うた「続いては、ここだ、熱田さんだ!」

長谷「おー、熱田神宮ですね。地元の方は『熱田さん』って呼ぶんですよね」

うた「信長様は戦場に向かう前にここで戦勝祈願をしたんだ」

長谷「なんでも、勝利を収めたことの御礼として塀を寄贈したんですよね?あれだあれだ!」
熱田神宮の「信長塀」

熱田神宮の「信長塀」

via 写真提供:長谷川ヨシテル
うた「祈願した時に瑞兆として、甲冑が擦れる音が聞こえたとか、鷺が2羽飛び立って信長様を導いたとか、なんか色々伝説が残されているんだよね」

長谷「実際はどうだったんですか?」

うた「俺は知らない、この時まだ追いついてないから(笑)」

長谷「信長さんは、清洲城を5人で出陣した後、雅楽之介さんとか家臣たちの到着を待ちながら進んでいたんですよね?」

うた「そうそう、この後信長様は『丹下砦』を経て『善照寺砦』に入るんだけど、そこで織田家のほとんどの軍が到着した感じ」

今川家の「鳴海城」を囲むように築かれた砦

丹下砦

丹下砦

「光明寺」の背後の丘に築かれていたが、現在は住宅街となり遺構はほとんど残されていない。
via 写真提供:長谷川ヨシテル
善照寺砦

善照寺砦

現在は「砦公園」として整備されている。
via 写真提供:長谷川ヨシテル
長谷「『丹下砦』も『善照寺砦』もこの前行ってきましたよ!今川家の『鳴海城』を取り囲むように築かれた砦ですよね」

うた「あ、俺はよく知らない。まだ信長様に追い付いてないから」

長谷「え!まだですか!?」

うた「うん、俺、朝弱いから。だって、熱田さんの戦勝祈願が辰の刻だからね〜」

長谷「辰の刻というと、午前8時くらいですね」

うた「じゃあ、俺が合流した砦に行こうか」

長谷「良いですね、行きましょう行きましょう!」
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長谷川ヨシテル/れきしクン

長谷川ヨシテル/れきしクン

歴史ナビゲーター、歴史作家。ニックネームは「れきしクン」。 漫才師としてデビュー、「芸人○○王(戦国時代編)」(MBS、2012年放送)で優勝するなどの活動を経て、歴史ナビゲーターとして、日本全国でイベントや講演会などに出演、芸人として培った経験を生かした、明るくわかりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。 テレビ・ラジオなどの出演のみならず、歴史に関する番組・演劇の構成作家や、歴史ゲームのリサーチャーも務めるほか、講談社の「決戦!小説大賞」の第1回と第2回で小説家として入選するなど、幅広く活動している。 著書に『あの方を斬ったの…それがしです 日本史の実行犯』(KKベストセラーズ)、『ポンコツ武将列伝』(柏書房)、『マンガで攻略! はじめての織田信長』(白泉社・原作・重野なおき、金谷俊一郎と共著)がある。 公式

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