【西国無双の侍大将】かつて寵愛を受けた主を討った武将・陶晴賢
2018年10月15日 更新

【西国無双の侍大将】かつて寵愛を受けた主を討った武将・陶晴賢

大内義隆に仕え、少年の頃はその美貌で寵愛を受けた武将・陶晴賢。長じて大内家の重臣となった彼は、やがて主に刃を向けることになります。しかし、下剋上を果たした彼の勢いは長くは続きませんでした。今回は、陶晴賢の生涯とゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

美少年・陶晴賢、大内義隆の寵愛を受ける

「陶晴賢を寵愛した大内義隆」

「陶晴賢を寵愛した大内義隆」

大永元(1521)年、陶晴賢(すえ・はるかた)は大内家の重臣・陶興房の二男として誕生しました。美少年の誉れ高く、彼は主君である大内義隆の寵愛を一身に集めたと言います。

やがて成長した晴賢は家督を相続し、大内家の重臣として義隆のために働くようになりました。武将として徐々に頭角を現し、天文9(1540)年の第一次吉田郡山城の戦いでは、毛利への援軍の総大将に任ぜられ、尼子晴久を撃退する功績を挙げます。
勢いに乗った義隆が尼子攻めに取り掛かろうとすると、晴賢は武断派として主の考えを後押しします。ところが、第一次月山富田城の戦いで大内方は大敗。この戦いで嫡子を失った義隆は、以後、戦への興味を無くし、公家文化への傾倒を強めていったのでした。

主との対立、そして謀反「大寧寺の変」

この頃、義隆の側近は文治派の相良武任らが占めており、内政を一手に担っていました。このため、晴賢ら武断派は文治派への反発を強めますが、かえって義隆からも遠ざけられてしまいます。
晴賢は相良と対立を深めていきますが、晴賢による相良暗殺計画が発覚し、相良がこれを義隆に密告したことで、晴賢はほぼ失脚へと追い込まれてしまいました。
文治派寄りだった義隆との間にも亀裂が生じ、2人の主従関係は崩壊へと向かうのです。
晴賢はこれ以後、自分の城に引きこもり、大内家の例祭などにも欠席するようになりました。そして天文20(1550)年、彼は兵を挙げ、主へと刃を向けたのです。

晴賢が主・大内義隆を滅ぼす舞台となった大寧寺(山口県長門市)

写真提供:一般社団法人山口県観光連盟 (25240)

via 写真提供:一般社団法人山口県観光連盟
写真提供:一般社団法人山口県観光連盟 (25243)

大内義隆主従の墓所がある。
via 写真提供:一般社団法人山口県観光連盟
義隆を自害に追い込んだ「大寧寺の変」後、晴賢は義隆の養子・晴英を傀儡当主に据えます。やがて毛利氏とも断交した晴賢は、弘治元年9月21日(1555年10月6日)、厳島で毛利軍と激突したのでした。

厳島合戦での大敗と自害

厳島に大軍で上陸していた晴賢は、身動きのできないところ...

厳島に大軍で上陸していた晴賢は、身動きのできないところを毛利に奇襲された

厳島合戦は、晴賢側が数的には圧倒的有利でした。しかし、前夜の暴風雨で油断していたところを毛利軍に衝かれ、総崩れとなってしまったのです。
厳島を脱出しようとした晴賢ですが、退路が断たれたことを悟り、自害。享年35でした。

陶晴賢の墓がある洞雲寺(広島県廿日市市)

「陶晴賢の墓」

「陶晴賢の墓」

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