肥前佐賀藩発祥!現代も読み継がれる武士道書『葉隠』とは?
2018年3月1日 更新

肥前佐賀藩発祥!現代も読み継がれる武士道書『葉隠』とは?

「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」。これは、佐賀藩士・山本常朝によって口述された武士道書『葉隠』の一説です。戦のない時代の武士の心得を表した『葉隠』は佐賀藩士の柱となり、現在も日常やビジネスに役立つ心構えとして多くの人に読み継がれています。今回は『葉隠』の内容とともに、発祥の地である佐賀県と著者・山本常朝について、歴史・文学研究家の福田智弘さんがご案内いたします。

福田智弘福田智弘

『葉隠』成立の背景

山本常朝

山本常朝

『葉隠』の口述者。常朝(じょうちょう)とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じていました。
『葉隠』とは、肥前国佐賀藩士の山本常朝の口述を、同藩士の田代陳基がまとめた武士道にかかわる教訓書です。『葉隠』という書名よりも「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の一文のほうが有名かもしれません。そして、この一文により、『葉隠』とは単に命知らずの無鉄砲な侍を礼賛する書だと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうではないのです。

『葉隠』の口述がはじまったのは江戸中期の1710年代。天下泰平の世が訪れて久しくなり、戦で武士が命を落とすことなどない時代でした。また、主君の後を追う「殉死」も禁じられ、山本常朝自身も、主君逝去の際に殉死を願ったものの許されませんでした。

戦で死ぬことも、主君の後を追って切腹することも許されなくなった時代だからこそ、山本常朝は「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」と語り、「死狂ひ(死に物狂い)」、死んだ気になって忠孝を尽くすべきだと語ったのです。
『葉隠』全3巻

『葉隠』全3巻

山本常朝・田代陣基著
岩波文庫

山本常朝の生涯とゆかりの地

山本常朝生誕地(佐賀県佐賀市)

山本常朝生誕地(佐賀県佐賀市)

山本常朝は、佐賀城本丸からほど近い片田江横小路で生まれました。現在この地には「山本常朝誕生地」の碑が立っています。
山本常朝の父は大坂の陣にも出陣した歴戦の兵でしたが、常朝が生まれたのは万治2年(1659)、大坂の陣からは44年という年月が経っていました。
常朝は、9歳で佐賀藩2代藩主・鍋島光茂に仕えます。2年ほど出仕をとどめられた時期がありましたが、約30年、側近として仕え続けました。
佐賀城趾(佐賀県佐賀市)の鯱の門と続櫓

佐賀城趾(佐賀県佐賀市)の鯱の門と続櫓

佐賀藩主の居城・佐賀城は、明治初期に佐賀の乱で大半を失ってしまいましたが、表門である鯱の門や藩主の居室は残っています。また、復元された本丸御殿内にある佐賀城本丸歴史館では、幕末・維新期の佐賀をテーマに、佐賀城の歴史や佐賀藩の科学技術、佐賀が輩出した偉人についての展示が行われています。
via 写真提供:佐賀県
歌道に造詣の深かった光茂が、晩年「古今伝授(『古今集』の解釈を中心とした歌道の秘伝)」に高い関心を持っていると知ると、それに関する書を入手しようと常朝は奔走。ついに京の公家を動かして秘伝の書を入手し、病で臥せっていた主君に手渡します。

その15日後、鍋島光茂は帰らぬ人となりました。
山本常朝は、文字通り最後の最後まで主君に尽くした忠義の人だったのです。
2代藩主・鍋島光茂

2代藩主・鍋島光茂

世禄制の実施や殉死の禁止を行った光茂。

6年かけて完成した大著『葉隠』

前述の通り、殉死が許されなかった常朝は、亡き主君の菩提を弔うべく、剃髪して隠遁します。

それから10年ほどの月日が流れ、常朝隠遁の地を、かつて佐賀藩の祐筆だった田代陣基が訪れます。
常朝は、自分よりも20歳ほど若い田代に対し、武士の心得や佐賀藩の人々の話などを語りはじめました。田代はそれをしっかりと筆録。6年ほどかけて大著を成立させます。それが、名著『葉隠』なのです。
葉隠発祥の地(佐賀県佐賀市)

葉隠発祥の地(佐賀県佐賀市)

君主・光茂の没後、山本常朝は現在の佐賀市金立町にあった宗寿庵に隠棲。田代陣基に対し、武士道論を語ったこの地には「葉隠発祥の地」の碑が建立されています。

今すぐ使いたい!?『葉隠』の内容とは

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福田智弘

福田智弘

歴史・文学研究家 作家。主な著書に『徳川十五代を支えた老中・大老の謎』『世界が驚いたニッポンの芸術 浮世絵の謎』(以上、じっぴコンパクト新書)『豪商たちがつくった幕末・維新』(彩図社)『ビジネスに使える「文学の言葉」』(ダイヤモンド社)などがある。その他、ベストセラー『ねこねこ日本史でよくわかるシリーズ』(実業之日本社)の監修、テレビ番組への出演など多数。 公式

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