意外なスポットで発見!?東京都内にある伊達政宗ゆかりの地
2017年5月24日 更新

意外なスポットで発見!?東京都内にある伊達政宗ゆかりの地

5月24日は伊達政宗公の命日です。政宗公といえば、ご存じ仙台藩初代当主ですが、その終焉の地は東京だったのをご存じでしょうか。東京にも意外とたくさんある政宗公、そして仙台藩ゆかりの地を辿ってみました。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

政宗終焉の地は日比谷公園にあった!仙台藩外桜田上屋敷跡

伊達政宗といえば、仙台藩初代藩主として仙台の発展の礎を築いた奥州の雄。
彼が亡くなったのは寛永13(1636)年5月24日。享年70、死因は癌性の腹膜炎もしくは食道癌といわれています。

政宗終焉の地は、仙台ではなく、仙台藩外桜田上屋敷でした。
現在でいう千代田区日比谷公園の場所にあたります。江戸城(皇居)にほど近い日比谷公園には、その跡地として説明サインが立てられています。
当時、諸大名は幕府から江戸城近辺に居住地を与えられ、藩邸を設けていました。
上屋敷とは、大名が居住し政務を行った屋敷のこと。この外桜田上屋敷は、慶長6(1601)年に徳川家康から与えられ、寛文元(1661)年まで使用されたそうです。
政宗の代には、家康だけでなく、秀忠や家光も訪れた記録が残っています。
公園内に説明サインがあります。

公園内に説明サインがあります。

via 撮影:ユカリノ編集部
伊達政宗終焉の地と書かれたサイン

伊達政宗終焉の地と書かれたサイン

via 撮影:ユカリノ編集部
「伊達男」の名にふさわしく、妻子にすら死に顔を見せないという最期だったそうです。
政宗が亡くなると将軍家は、江戸で7日、京都で3日に服喪するようにと異例の命令を発しています。政宗の偉大さがうかがえますね。

日テレでゆかりの地を発見!仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)跡

仙台藩の屋敷は外桜田だけでなく、愛宕下(港区新橋5・6丁目)などにもあったことが、文献や絵図に残っています。仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)があったのは、港区東新橋、現在だと汐留の日本テレビタワーがある場所なのです。
日本テレビ・ゼロスタ広場で説明サイン発見

日本テレビ・ゼロスタ広場で説明サイン発見

右下の柱に見えるのがサイン。左上に見えるのは、某情報番組を放送しているスタジオですね(笑)
via 撮影:ユカリノ編集部
柱にある上屋敷跡のサイン。こちらには伊達の家紋が!(テ...

柱にある上屋敷跡のサイン。こちらには伊達の家紋が!(テンション上がる)

もう1箇所、日本テレビタワー北玄関にも設置されています。
via 撮影:ユカリノ編集部
こちらは政宗亡き後、寛永18(1641)年に下屋敷として設けられています。
その後、延宝4(1676)年に上屋敷となり、以降幕末まで仙台藩の江戸での拠点として機能したのだそうです。

7年にも及ぶ東京都の調査のなかで、屋敷の東北部から汐留川(仙台川とも)に接する舟入場があったことがわかり、下屋敷時代に多くの物資の出入りがあったと考えられています。ここでは他にも、御殿や庭園といった遺構群が発見されています。

新橋サラリーマン憩いの場も!塩釜公園・鹽竈(しおがま)神社

鹽竈神社

鹽竈神社

via 撮影:ユカリノ編集部
49 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

ユカリノ編集部

ユカリノ編集部

全国各地の「ゆかりの」エピソードをほぼ毎日お届け。知ればもっと行きたくなる、歴史の聖地巡礼へご案内します! 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

奥州の覇者・独眼竜政宗が小姓へ送った謝罪の手紙、その内容とは…?「日本男色史巡り 第1回:伊達政宗」

奥州の覇者・独眼竜政宗が小姓へ送った謝罪の手紙、その内容とは…?「日本男色史巡り 第1回:伊達政宗」

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する新連載『日本男色史巡り』。第1回は、伊達政宗公ゆかりの手紙をご紹介します。同僚の大名からは「狐憑き」、史家からは「変人」と呼ばれる一方、家臣や領民からは情け深い「慈父」と慕われた奥州の覇者、伊達政宗。見る人によってプリズムのように違う色を見せる、複雑怪奇な人間性の彼が心底から愛したのは少年だった!? 仙台市博物館に現存する、愛する少年へ送った政宗ゆかりの手紙とは?
あの戦国武将たちも愛した!ゆかりの隠し湯で伝説と史跡を巡りたい

あの戦国武将たちも愛した!ゆかりの隠し湯で伝説と史跡を巡りたい

かつて武士たちは戦いに明け暮れる日々を過ごしていました。合戦といえば怪我がつきもの。そんな武士たちの傷を癒やすために各国の領主たちが使わせたのが「隠し湯」といわれる温泉です。そんな隠し湯と周辺のゆかりの地をご案内いたします。
戦国の革命児・織田信長! 銅像でたどる覇王の生涯「ニッポン銅像探訪記 第7回:織田信長像」

戦国の革命児・織田信長! 銅像でたどる覇王の生涯「ニッポン銅像探訪記 第7回:織田信長像」

「有史以来、もっとも有名な日本人は誰か?」なんて国民調査は行われたことがないですが、行われれば間違いなくTOP3には入る人物なのが、今回紹介する織田信長。「天下人」「魔王」「麒麟児」「革命家」など彼を讃える称号は多くありますが、どんな言葉であってもその範疇に収まらないほど、日本人として規格外の人物でした。今も日本人が大好きな人物ゆえ、銅像も数多く残っています。今回は彼の略歴や居城の変遷を追いかけながら、覇王の像を紹介していきましょう。
「おんな城主 直虎」でも注目!小悪魔ボーイだった井伊直政、寵愛を受けていたのは家康だけじゃなかった!「日本男色史巡り 第3回:井伊直政」

「おんな城主 直虎」でも注目!小悪魔ボーイだった井伊直政、寵愛を受けていたのは家康だけじゃなかった!「日本男色史巡り 第3回:井伊直政」

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載『日本男色史巡り』。第3回は、話題の大河ドラマ「おんな城主 直虎」井伊直虎の養子・井伊直政。徳川四天王に列せられ、武田の赤備えを引き継いで、赤鬼と恐れられた猛将は実は「容顔美麗」と史書にも記された美少年だった!? そして、美少年が家康の他に、二股をかけた相手とは!?
九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」

九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」

元亀3年(1572年)、現在の宮崎県えびの市付近において行われた伊東義祐と島津義弘の合戦「木崎原の戦い」(きざきばるのたたかい)。少数の兵力だった島津側が、伊東側に勝利したことから「九州の桶狭間」とも呼ばれています。
  • 地域(場所)から記事を探す
  • 大河ドラマ ゆかりの地 特集
  • 銅像記事特集
  • 御朱印記事特集
  • ユカリノとは
twitter facebook