ハリウッド映画化!?信長の家臣となった黒人侍・弥助の謎多き軌跡
2018年7月30日 更新

ハリウッド映画化!?信長の家臣となった黒人侍・弥助の謎多き軌跡

織田信長に黒人の家臣がいたことは有名ですね。彼の名は「弥助(やすけ)」。イエズス会宣教師に奴隷として連れられて来たと思しき弥助は、本能寺の変の際にも居合わせたと伝わっています。当時の日本人にとって、肌の色や体格が違う弥助はまさに異世界の人。近年ハリウッド映画化の話もあるという、謎多き弥助の足跡を辿ってみましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

信長もびっくりした肌の色

「白人が連れている黒人奴隷の屏風絵なども現在に残されている」

「白人が連れている黒人奴隷の屏風絵なども現在に残されている」

弥助はイエズス会宣教師に連れられ、黒人奴隷として日本の地を踏みました。当時の日本人にとって外国人は珍しい存在でしたが、黒人となればそれ以上。驚きの方が勝ったようで、弥助が滞在している場所には見物人が殺到したこともあったようです。
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織田信長への献上品だった弥助。
「新しいモノ・珍しいモノ大好き」な織田信長でさえも、弥助を初めて見た時はかなり驚いたようです。
「墨を塗っているのでは?」と服を脱がせて洗ってみたわけですが、当然肌の色は黒いまま。そこでようやく納得したそうです。
納得すれば偏見なく接するのが信長のいいところ。宣教師に「こいつを譲ってくれ」と頼み、弥助を武士扱いの破格の待遇で召し抱えたのでした。

本能寺の変での弥助、その後の行方は…?

しかし天正10(1582)年6月2日、本能寺の変が起き信長が亡くなります。
この時、弥助は本能寺を脱出して二条新御所にいた織田信忠の元へ駆けつけ、異変を告げたといわれています。そして明智光秀の軍勢相手に奮戦しましたが、力尽きて投降しました。
「本能寺焼討之図」(明治時代、楊斎延一画)

「本能寺焼討之図」(明治時代、楊斎延一画)

光秀は弥助の処分について、「こいつは動物だから何も知らないし、日本人でもないから殺す必要はない」と言い、京都にある南蛮寺に送ったといいます。

南蛮寺とは、天正4(1576)年に完成したキリスト教の教会です。天正16(1588)年に豊臣秀吉の禁教令が発せられると破却されました。現在は跡地の碑のみ残っています。

南蛮寺址

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京都の南蛮寺は当時日本にあった教会の中でも最大級だったという。
ここに送られた後、弥助の足取りは不明となっています。しかしその行方については諸説あり。一説にはその後、九州である戦に参加していたのではという説もあるのだとか。

九州で活躍した黒人がいた?

天正12(1584)年、龍造寺隆信と有馬晴信・島津家久連合軍との間で起きた沖田畷の戦いは、有馬・島津連合が大勝利を収めました。数で勝る龍造寺軍を戦略で打ち破った有馬・島津連合軍。この後、九州での島津の快進撃は続くこととなります。

この時、有馬方の記録に「黒人が大砲方として活躍した」という記録があります。
有馬晴信はキリシタン大名でしたから、黒人奴隷についても見聞きしていたはず。弥助と同一人物だという証拠はありませんが、もしかすると弥助を受け入れた可能性があるかも?ともいわれています。もしそうだとしたら、信長の下で経験を積んでいた弥助、戦場でも活躍したのではないでしょうか。
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