豊臣秀頼奉納の鳥居も現存、大坂城の鎮守神だった玉造稲荷神社
2018年6月5日 更新

豊臣秀頼奉納の鳥居も現存、大坂城の鎮守神だった玉造稲荷神社

天下人・豊臣秀吉の後継者として知られる豊臣秀頼。2016年の大河ドラマ『真田丸』で中川大志さんが演じ、話題になりました。近年の研究によると、文武両道に長けた非常に有能な人物だったといわれています。今回は秀頼の生涯を追いながら、ゆかりの深い玉造稲荷神社についてご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

玉造稲荷神社にある豊臣秀頼像

玉造稲荷神社にある豊臣秀頼像

現在の大阪城築城80周年の節目にあたる平成23年(2011)に設置された豊臣秀頼の銅像。

天下人・豊臣秀吉の後継者

秀頼の父・豊臣秀吉(左)と母・淀殿(右)。秀頼の父に関...

秀頼の父・豊臣秀吉(左)と母・淀殿(右)。秀頼の父に関しても諸説あり・・・。

豊臣秀頼が誕生したのは文禄2年(1593)8月3日。秀吉57歳の時の子で大坂城で誕生しました。
母親は「淀殿」の呼び名でも知られる秀吉の側室・茶々です。

天正19年(1591)に長子の鶴松を亡くした秀吉にとって、待望の世継ぎとして誕生した秀頼(幼名・お拾)。しかし、秀吉はすでに甥である秀次を後継者としていました。
秀吉は秀次から関白職を奪うと、ついには自刃させてしまいます。
さらに諸大名からは忠誠を誓約する起請文への血判署名をさせることで、秀頼を天下人の後継者として認めさせました。
豊臣秀次

豊臣秀次

秀次の切腹もいまだ謎に包まれています。

身長は2m近く、体重は160kg?

ところが慶長3年(1598)に秀吉が死去し、その2年後に関ヶ原の戦いが起こると状況は一変。
この戦いに勝利した徳川家康が絶大な権力を獲得した一方で、豊臣家は現在の大阪府を中心に60余万石を領有する一大名に転落します。

ただし関ヶ原の戦い後も、秀頼は世間から天下人として認識されていたことが、当時の史料などから判明しています。
実際、慶長8年(1603)に秀頼は家康の孫娘・千姫と婚約。その2年後には関白まであと一歩という、右大臣の官位に上っています。
こうした事実から秀頼が成人したあかつきには、家康が天下の政を豊臣家に返上すると考えていた人が多かったようです。
豊臣秀頼

豊臣秀頼

よく知られる秀頼の肖像画ですが・・・。
そんな秀頼ですが、江戸時代中期に成立した随筆『明良洪範』には、身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)という、並外れた巨漢であったことが記されています。
また、兵学や儒学などあらゆる学問に精通し、武芸にも秀でた人物であったという記述もあるんです。
肖像画からか弱いイメージもありましたが、意外と?男らしかったのかもしれません。

大坂夏の陣で母とともに自害

現在の大阪城

現在の大阪城

こうして、天下人にふさわしい成長を遂げた秀頼に恐れをなした・・・かは、定かではありませんが、家康は慶長19年(1614)に起こった方広寺鐘銘事件を口実に、豊臣家を滅ぼすことを決意。
ついにその年の11月、大坂冬の陣が勃発します。

秀頼率いる大坂方と家康率いる幕府軍が激突した冬の陣は、和議によりいったん終結しますが、翌慶長20年(1615)に再開されます。
夏の陣と呼ばれるこの戦いでは真田幸村をはじめ、大坂方の有力武将が次々と討ち死に。
幕府軍が大坂城内に入城し、秀頼も天守閣から山里丸へと逃れました。

このとき秀頼の側近である大野治長は、千姫の身柄と引き換えに秀頼の助命を嘆願したといいますが、家康は拒否。
これを受けて秀頼は同年5月8日、母親の淀殿らと共に自害し、23歳でその生涯を終えたのです。

秀頼ゆかりの地:玉造稲荷神社(大阪府大阪市)

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社

秀頼ゆかりの史跡として知られる玉造稲荷神社。
この場所はもともと大坂城三ノ丸にあたり、大坂城築城のときから鎮守神として崇められていました。
特に秀頼と淀殿の崇敬は篤く、慶長8年(1603)には荒廃した社殿を再興。大坂夏の陣で開戦地となり被害を受けますが、元和5年(1619)徳川幕府によって再建。その後文久3年(1863)の大坂大火を経て、明治4年(1871)に建てられたのが現在のものです。

境内には、秀頼が奉納した鳥居が現存しています。
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