父・家康に疎まれ…不遇の生涯を送った松平忠輝ゆかりの城・高田城
2018年7月3日 更新

父・家康に疎まれ…不遇の生涯を送った松平忠輝ゆかりの城・高田城

徳川家康の六男・松平忠輝。家康の実子でありながら、父からは疎まれ「鬼っ子」と呼ばれた理由とは…?不遇の生涯を送った忠輝が藩主として唯一幸せに過ごしたとされるゆかりの地・高田城(新潟県上越市)をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

生まれた時から父に嫌われる忠輝

家康から容貌を嫌われたという忠輝

家康から容貌を嫌われたという忠輝

徳川家康の六男として天正20(1592)年に誕生した忠輝。
母の茶阿局は聡明で家康から信頼されていましたが、身分が低かったためか、家康は忠輝を愛そうとはしませんでした。当時「畜生腹」と忌まれていた双子で生まれたからという説もあるそうですが、家康は慶長3(1598)年になるまでほぼ面会しなかったそうです。

ようやく面会が叶ったその席でも、家康は忠輝を見て「色が黒いし眦(まなじり)が裂けている」と嫌悪感を露わにします。二男の結城秀康と通じるところがありますが、ひどい反応ですね・・・。

伊達政宗の娘・五郎八姫との結婚

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忠輝の正室・五郎八姫(天麟院)
元服した忠輝は、慶長11(1606)年、伊達政宗の長女・五郎八姫(いろはひめ)を正室に迎えます。美しく聡明な彼女は夫の容貌など気にすることもなく、2人は仲睦まじい夫婦となりました。
忠輝も茶の湯や絵画など文化面に造詣が深かったことから、気が合ったのでしょう。

越後国高田藩主となった忠輝

高田城三重櫓(新潟県上越市)

高田城三重櫓(新潟県上越市)

via 写真提供:日本の城写真集
慶長15(1610)年、越後高田藩30万石を加封された忠輝は75万石の藩主となります。慶長19(1614)年に彼の居城として築城された高田城は、加賀の前田家や出羽の上杉家への抑えとして天下普請で造られ、縄張りから建設の総監督までを舅の伊達政宗がつとめました。
石垣や天守はありませんが、現在はシンボルの三重櫓が復元されています。

父からは対面を禁じられ、兄からは改易される

しかしその後も、父・家康との関係は修復しませんでした。
大坂冬の陣の際、江戸城の留守居を命じられたことが不満だった忠輝は、なかなか出発しようとせず、ついには政宗に説得されるほどでした。加えて、夏の陣では遅参してしまい、家康は激怒。一切の対面を禁じられ、家康の今際の際にさえ来るのを拒まれてしまいました。他の兄弟は来ていたのですから、家康の怒りの大きさがわかります。

そして、家康亡き後の元和2(1616)年、忠輝は兄・秀忠によって改易されてしまいます。伊達政宗との距離が近すぎ警戒されたことや、五郎八姫がキリシタンだったということ、加えて不行状の噂が立ったという説などが理由として推測されています。
改易時に離縁した五郎八姫はその後仙台に戻り、終生再婚しませんでした。一説には密かに忠輝の子を出産し、その子が彼女の菩提寺の住職になったとも言われていますが定かではありません。
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最終的に信濃・諏訪にお預けとなった忠輝は、天和3(1683)年に92歳で亡くなります。幽閉生活は約70年に及び、徳川宗家より勘当が解かれたのは昭和に入ってからのことでした。

一方で、忠輝の墓がある貞松院(長野県諏訪市)には、死期を予感した家康から茶阿局を通して与えられたという銘笛「乃可勢(のかぜ)」が伝わっています。そのため、父子の溝は埋まっていたという説もあるようです。

不遇の生涯で、忠輝が唯一幸せに過ごした高田城

松平忠輝ゆかりの城・高田城は桜の名所として有名で、日本三大夜桜のひとつになっています。また、2017年には続日本100名城にも選定されました。
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