大坂の陣で信繁は使っていない?真田の「六連銭」本当の意味【家紋のルーツ:第3回】
2018年11月8日 更新

大坂の陣で信繁は使っていない?真田の「六連銭」本当の意味【家紋のルーツ:第3回】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する連載。今回は真田の六連銭です。2016年大河ドラマ『真田丸』で一躍有名となった真田家の家紋は、本来は六連銭、しかも幸村(信繁)は大坂の陣で使っていなかった?気になる六連銭のルーツに迫ります。

髙澤等髙澤等

戦国を駆け抜けた真田一族の家紋として有名な「六連銭(むつれんせん・ろくれんせん)」、幾度もの戦場に悠然とひるがえりました。
ドラマや映画などでも真田信繁(幸村)が六連銭を兜の前立に付けて活躍する場面は枚挙にいとまがないほど描かれています。
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これほどまでに有名で戦国ファンに愛されている六連銭ですが、実は戦国武将の家紋の中でも六連銭ほど虚飾に満ちた家紋はありません。つまり皆さんが知っている六連銭の知識は、「虚」、作り話であるものが少なくないということです。

しかし、大変な人気があるからこそ魅力的な逸話が生まれるのだと私は思います。
誰もがそうした格好のいい逸話にシビれてファンになり、より深く愛するようになると、逆にそうした虚飾を取り去った本当の姿はどうだったのかを知りたくなるものです。

六連銭か六文銭か?

真田氏の六連銭、一部では「六文銭」と云われ、あちこちで見かけますが、正しくは「六連銭」です。
真田家が幕府に提出している家譜でも「六連銭」と明記されています。六文銭というのは江戸時代に入ってから川柳などでそう呼ばれて一般化したようで、真田氏関係の子孫達が昭和40年に設立した会も「六文会」という名称を採用しています。

六文銭に限らず江戸時代の文芸は家紋に強い影響力を持っていて、その時代に事実と反する逸話が生まれて、後世まるで事実であったかのように伝わってしまった家紋は少なくありません。

三途の川の渡し賃

六連銭の由来はいくつもありますが、家紋としての六連銭でもっとも有名なのは、「三途の川の渡し賃」という話しです。でも、それって本当か?という真田ファンにはいささかショッキングなネタを考えてみましょう。

私自身も「三途の川の渡し賃」であるということを、あちこちに書いてきましたが、最近「六道銭とは何か」と問うことで少し心変わりをしました。
「三途の川の渡し賃」が六道銭であるということは多くの方がご存じでしょう。それならば家紋名もなぜ六道銭にしなかったのでしょう?疑問はそこから始まります。
死者に持たせる六道銭は、古代から続く埋納銭貨の風習と六道信仰が合体した習俗だと云われています。
そして古代の埋納銭は、6枚では無く5枚だったそうです。墓を囲うように五方に一枚ずつ埋めたらしいのです。それが六道信仰の影響からか次第に6枚になったということです。

六道信仰は六体の地蔵菩薩、すなわち六地蔵に由来するもので、六道とは天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の世界のことです。
この信仰は『今昔物語』にも書かれているので、古くからあったことは間違いありません。しかし長い年月6枚の銭は、「三途の川の渡し賃」ではなく、ただ六地蔵へ捧げるという意味だったらしいのです。 
そして江戸時代になり、社会が安定するにともない、伊勢参りなど遠方への巡礼の旅が流行したことから、六道銭も「冥土への路銀」という意味が当てはめられるようになったということです。(藤澤典彦「墓中埋納銭貨の変容-六道銭の成立をめぐって」より)

私はさらに三途の川で渡し賃を持たぬ死者の服をはぎ取るという奪衣婆(だつえば)が江戸時代に民間信仰として流行ったことも影響していると思います。
そうなると戦場を駆け巡る真田の六連銭が、「地獄への渡し賃」といわれて敵に恐れられたという話しも、江戸時代に入ってからできた創作だったのではという疑念が湧いてきます。

江戸中期になると、庶民文化として川柳が登場し、真田のことも詠み込まれています。
幸村は  生きる気でない  紋所
 
討死にの  覚悟は真田  紋で知れ
どちらの川柳も「三途の川の渡し賃」を意識して作られていることがわかります。ここに至って真田の六連銭の意味が、現代で受け止められている六道銭として確立されたと想像されます。

連銭紋は他にもある

歴史的には「連銭」という家紋は他にもたくさん用いられています。応永7年(1400)の大塔合戦の顛末を記し、真田氏の初出と云われている『大塔物語』(15世紀の成立)にも連銭は登場します。

上杉謙信が関東に進出してきた永禄3年(1560)の記録である『関東幕注文』に、真田氏と同じ海野一族の大戸氏と羽尾氏が「六れんてん」と記録されています。これは六連銭のことでしょう。

他に有名なところでは『蒙古襲来絵詞』に肥後国守護の安達盛宗の船に連銭紋の旗が掲げられていたこと、『太平記』にも琵琶湖上の軍船に連銭の旗があったことが書かれています。
また戦国時代に書かれた『阿波国旗下幕文控』でも、連銭紋、三連銭紋は複数出てきます。こうしてみると、六連銭紋は銭紋というカテゴリー全体の中でその意味を考えなければならない家紋のような気がします。
『関東幕注文』1行目の大戸、最後の行の羽尾が「六れんてん」

『関東幕注文』1行目の大戸、最後の行の羽尾が「六れんてん」

長野県に六連銭を訪ねる

2016年に放送された大河ドラマ『真田丸』の影響で、多くの方が長野県に訪れましたが、いまは静かな歴史観光地へと戻りつつあります。それでも真田人気は根強いので、週末や連休は相変わらず観光客は多いようです。

真田氏の本拠城だった上田城に行くと、真田信繁が用いたという「真田赤備え兜」という金の六連銭を付けた巨大な兜が城中に据えられて、訪れる観光客を迎えています。
現在の上田城は仙石氏時代に一新されたものですが、真田氏が去ってからも真田の城として愛されているようです。
なにより現在の本丸跡には真田神社が鎮座しております。地元の方々も真田の城として大切にしているのでしょう。ただしこの神社は真田氏だけではなく、仙石氏や松平氏を含めた歴代城主を祭神として祀っています。
上田城中にある「真田赤備え兜」

上田城中にある「真田赤備え兜」

via 撮影:高澤等
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髙澤等

髙澤等

埼玉県飯能市生まれ。長年、実父の日本家紋研究会前会長の千鹿野茂とともに全国の家紋蒐集を行う。家紋の使用家や分布などを、統計を用いて研究している。現在、日本家紋研究会会長、家系研究協議会理事、歴史研究家。著書に『苗字から引く家紋の事典』(東京堂出版)、『家紋歳時記』『戦国武将 敗者の子孫たち』(ともに洋泉社)などがある。 公式

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