【武田軍と織田・徳川軍が激突!】革新的な戦術が勝敗を決めた「長篠の戦い」ゆかりの地
2017年10月23日 更新

【武田軍と織田・徳川軍が激突!】革新的な戦術が勝敗を決めた「長篠の戦い」ゆかりの地

東の武田、西の織田、東西の有力大名が初めて激突した「長篠の戦い」。鉄砲を使った「三段式装填法」や、武田の騎馬軍団に対抗する「馬防柵」など、信長が考案した革新的な戦術が繰り出されたことでも有名です。その戦場となった長篠・設楽原(愛知県新城市)には、その名残が今も数多く残っています。今回は「合戦ナンバーワン」との呼び声も高い「長篠の戦い」ゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

東西の有力大名が初めて激突した「長篠の戦い」

長篠合戦図屏風

長篠合戦図屏風

徳川美術館蔵
「長篠の戦い」は、天正3年(1575)5月、三河国長篠城をめぐって、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間で行われた戦いです。織田軍が鉄砲を使った新戦法「三段式装填法」や、武田の騎馬軍団に対抗するための「馬防柵」を立てたことでも有名です。

一般的には「長篠の戦い」といわれていますが、実際の戦場となったのは設楽原(したらがはら)の方なので、長篠・設楽原の戦いといわれることもあります。

戦いが始まったのは5月11日。武田勝頼は西へ勢力を伸ばすため、重要な拠点となる長篠城を1万5000の軍を率いて包囲し、攻撃します。城主の奥平貞昌以下500の兵は、なんとか攻撃に耐えますが、大軍に抵抗するのも限界となったため、織田信長、徳川家康へ救援を請うため、鳥居強右衛門を岡崎へ向かわせます。

そして5月18日、信長3万、家康8000の援軍は、城の西方約4km先にある設楽原に到着、陣を築きます。
武田軍は20日、長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出。21日の夜明けとともに織田・徳川軍の陣地に突入、壮絶に戦いますが、大量の火縄銃の攻撃にさらされてしまいます。歴戦の武将を多く失った勝頼は、数騎の味方に守られて敗走しました。

「三段式装填法」はなかった?

大量の鉄砲投入が勝利を呼んだ織田信長

大量の鉄砲投入が勝利を呼んだ織田信長

長興寺蔵
通説では武田軍1万5000、織田・徳川連合軍3万8000といわれていますが、設楽原にはそれだけの軍勢が戦える空間がないため、今では両軍ともその半分くらいだったのでは?といわれています。また、信長が用意した鉄砲は約3000丁といわれていますが、約1000丁とする説もあります。さらに、従来いわれてきた「三段式装填法」も、現在までの研究ではなかったともいわれています。

しかし、これまでの戦いで用いられた鉄砲よりはるかに多いこと、また、連吾川沿いに設置した馬防柵も革新的なものでした。
馬防柵の丸太は、信長が岐阜から設楽原へ兵士に1本ずつ持ち運ばせたとされています。信長が設楽原に武田軍をおびき寄せ、そこで鉄砲によって攻撃することを、最初から考えていたことがわかります。

東西の有力大名が戦場で激突する初めての合戦だった「長篠の戦い」。それまでは最強の誉れが高かった武田軍の大敗は、戦国時代の大きな転換期となったのです。
武田勝頼

武田勝頼

高野山持明院蔵

いざ!決戦地・設楽原へ!

それでは「長篠の戦い」が行われた決戦地へ。徒歩で向かう場合、最寄りのJR飯田線・三河東郷駅で下車します。設楽原歴史資料館までは、徒歩で約15分です。

行く途中に、織田・徳川軍が、多くの武田軍の武将の首を洗ったとされる、首洗い池があります。今は痕跡がないとわかっていても、こういう場所はいつもドキドキしてしまいます。
首洗い池

首洗い池

まずは設楽原歴史資料館で「長篠の戦い」をおさらい

設楽原歴史資料館

設楽原歴史資料館

開館時間:午前9時〜午後5時(最終入館は午後4時30分まで)
休館日:火曜日(火曜日が休日の場合は次の平日) 
via 写真提供:一般社団法人 奥三河観光協議会
武田勢が陣を構えた丘の上にある設楽原歴史資料館。
「長篠の戦い」について、多くの古文書から紹介するとともに、この戦いの象徴である火縄銃が、多数展示されています。周辺の地図もあるので、まずはここで「長篠の戦い」についておさらいしてから巡ると、より楽しめますよ。

また、幕末に日米修好通商条約調印の立役者として活躍した岩瀬忠震など、新城市の歴史も学べます。
火縄銃のレプリカ

火縄銃のレプリカ

via 写真提供:一般社団法人 奥三河観光協議会
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