岐阜入城・岐阜命名450年記念!織田信長ゆかりの地 in 岐阜
2017年5月12日 更新

岐阜入城・岐阜命名450年記念!織田信長ゆかりの地 in 岐阜

平成29(2017)年は、織田信長が斎藤龍興を倒して岐阜城に入城し、地名を「井口(いのくち)」から「岐阜」に改めた永禄10(1567)年からちょうど450年に当たります。そのため、岐阜では「岐阜市信長公450プロジェクト」と題して、信長関連のイベントや観光スポットが盛り上がりを見せているんですよ。今回は信長関連イベントやゆかりの地をまとめてご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

信長と岐阜の関係

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永禄10(1567)年、信長は美濃を支配する斎藤龍興を破り、この地を天下取りの拠点としました。その時に定めた「岐阜」という地名は、信長自身がつけたという話が有名ですね。(一説には、尾張は政秀寺の僧・沢彦宗恩、または岐阜の崇福寺の僧・柏堂景森がつけたという説もあります。)

また、岐阜という地名の由来としては、古代中国における周の文王にちなんだ岐山や、孔子の生まれた曲阜から採られたという説や、斎藤氏の前に美濃を支配した土岐市のころから禅僧がこの地を岐阜と呼んでいたことからという説など、諸説あるようです。

岐阜城跡

「現在の天守は昭和31年に再建されたもの」

「現在の天守は昭和31年に再建されたもの」

岐阜城はかつて稲葉山城と呼ばれ、信長の義理の父・斎藤道三の居城でした。永禄10(1567)年に信長が手に入れ、改修して居城としたのです。

金華山頂にある山城で、現在は3層4階建ての復興天守があります。こちらは展望台になっており、そこからみる長良川や岐阜市街の景色は絶景ですよ。
天守からの景色

天守からの景色

岐阜城資料館特別展では「信長公の隠れ家」が開催中

岐阜市信長公450プロジェクト実行委員会 (4257)

岐阜城に隣接する岐阜城資料館では、ここを信長の隠れ家と見たてて「信長公の隠れ家」という特別展が開かれています。平成29(2017)年4月29日(土)から12月24日(日)までの開催です。

「信長の野望」のイラストレーター・長野剛氏の描き下ろしの信長肖像画(こちらは7月1日から)の展示や、信長をイメージして制作された南蛮具足の展示などが行われています。信長ファン必見の特別展ですね!

現在発掘調査中!「信長居館跡」

岐阜城跡をはじめとした金華山一帯は岐阜公園となっているのですが、その敷地内には織田信長公居館跡があります。フロイスの「日本史」にも言及された信長の館があった場所と言われており、巨石を使った通路や石垣が復元されています。今でも発掘調査が進められており、将来、さらなる発見があるかもしれません。
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また、岐阜公園の入口には若き日の織田信長像があり、岐阜城の天守と共に写真に収められる絶好のフォトスポットとなっています。
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