【近江八幡、岡崎、柳川の城下町を整備】武将からも領民からも慕われた田中吉政ゆかりの地
2017年9月21日 更新

【近江八幡、岡崎、柳川の城下町を整備】武将からも領民からも慕われた田中吉政ゆかりの地

慶長5年(1600)の今日、9月21日は、関ヶ原合戦で敗北した石田三成が捕らえられた日。その三成を捕らえたのが三成と同じ近江出身の田中吉政です。吉政は秀吉に注目されると、秀次の筆頭家老に抜擢。近江八幡や岡崎、柳川の城や城下町を整備し、その遺構は現代にも活かされています。意外と知られていない?吉政の功績とゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

秀吉に注目され、秀次の筆頭家老に

田中吉政像「新柳川明証図会」より

田中吉政像「新柳川明証図会」より

via 真勝寺蔵
田中吉政は天文17年(1548)、近江・高島郡の田中村で生まれたとされます。

吉政の母の兄弟である国友与左衛門が、浅井長政の家臣である宮部継潤の家臣であったことから、吉政は最初、宮部継潤の家臣になります。

長政が滅んだ後、宮部継潤が豊臣秀吉の与力になったことで、吉政も従います。
のちに秀吉の直臣に取り立てられ、関白秀次の筆頭家老にまでなる吉政ですが、秀吉が吉政に注目したエピソードがあります。

天正8年(1580)、秀吉の中国攻めに加わっていた宮部継潤らが因幡国の垣屋光成を攻めた際、落城を決意して自害しようとしていた光成を見つけ、一戦を交え自害を阻止したそうです。光成を説得した吉政は、秀吉から「お気に入りの名将を救った」として、刈谷城を与えられました。

まずは近江八幡城の城下町を整備

八幡堀(滋賀県・近江八幡市)

八幡堀(滋賀県・近江八幡市)

「水堀めぐり」で人気の観光地。ドラマのロケ地としても有名です。
このように吉政に注目した秀吉は、天正10年(1582)の本能寺の変の後、秀次の家老につかせ、3年後に秀次が八幡城主となると、筆頭家老に昇格させます。吉政は、八幡城の堀(八幡堀)の開削や井水・用水の裁許など、若い秀次のもとで、領国経営に手腕を発揮しました。

秀吉の吉政への信頼は厚く、徳川家康を懐柔するための大政所の三河下向にも、吉政が関わったとされます。そして、天正18年(1590)、小田原征伐でも活躍した吉政は、三河国の岡崎城主となるのです。

秀次事件後もお咎めなし!岡崎城を整備

岡崎城(愛知県・岡崎市)

岡崎城(愛知県・岡崎市)

via 写真提供:岡崎市
しかし、文禄4年(1595)、かの豊臣秀次事件にて、秀次が高野山で自害します。この時秀吉は、秀次の重臣も処分しますが、吉政や藤堂高虎はお咎めなく、約2万石の加増まで受けています。

やがて10万石の大名になった吉政は、さらに領国経営に乗り出します。まず、岡崎城を近世城郭に整備し、城下の町割に7つの町を堀で囲む田中掘を築造します。さらに、当時は岡崎の郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更し、「岡崎二十七曲がり」と言われるクランク状の道をつくりました。

家康対策で作った道のおかげで宿場町も発展!

岡崎城の徳川家康像

岡崎城の徳川家康像

家康の出生地である岡崎城。家康が関東に移封となってから吉政が入ることになる。
via 写真提供:岡崎市
岡崎城といえば、徳川家康の出生地としておなじみですが、吉政は関東に移封となった家康の後釜として岡崎城に入りました。

そんな吉政が、家康からの攻撃に備えるために作られたのが、「岡崎二十七曲がり」でした。迷路のような道をつくることで、防御しやすい街にしたのです。完成まで10年かかったと言われています。

このおかげで街道が伸び、お店も増えたことで、「岡崎宿」は東海道の中でも屈指の規模を誇る宿場町となります。現在も冠木門から始まり、欠町から伝馬通り、材木町から八帖町、矢作橋へとつながる約4kmの旧街道には、二十七曲りを示す碑が残っています。

あくまで防御として作った道まで、町の発展につながるとは、吉政の町づくりセンスってすごいと思いませんか?

吉政は、岡崎では城下の見回りを日課としていて、道端で弁当を食べるなど、気さくな領主として庶民からも慕われていたそうです。
「岡崎二十七曲がり」の終点・矢作橋

「岡崎二十七曲がり」の終点・矢作橋

歌川広重「東海道五十三次・岡崎宿」より。
江戸時代は日本最大の橋だった。
via https://ja.wikipedia.org/wiki/
現在の矢作橋

現在の矢作橋

via https://ja.wikipedia.org/wiki/
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