第4回:東京で吉田松陰の最期をたどる【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち】
2018年3月30日 更新

第4回:東京で吉田松陰の最期をたどる【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち】

歴史タレント・小栗さくらが、幕末維新ゆかりの場所を旅する「小栗さくらがゆく!幕末維新のみち」。第4回は吉田松陰最期の地・江戸。思想家・教育者として、長州の志士たちに多大な影響を与えた松陰は、今でも「松陰先生」と慕われています。彼の足跡は全国にありますが、今回は松陰が命を落とした江戸に焦点をあて、その死の前後を追いたいと思います。

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提供:小栗さくら (8976)

via 提供:小栗さくら
安政6年(1859)10月27日は、長州藩・吉田松陰の命日です。
思想家・教育者として、長州の志士たちに多大な影響を与えた松陰は、今でも「松陰先生」と慕われています。

彼の足跡は全国にありますが、今回は松陰の命日ということで、松陰が命を落とした江戸にしぼり、その死の前後を追いたいと思います!

松陰が2度収容された伝馬町牢屋敷(東京都中央区)

松陰は、嘉永6年(1853)に、2度目の江戸遊学に出発するのですが、そのとき浦賀に黒船が来航したことを知り、西洋文明に強く関心を抱きました。
師・佐久間象山の薦めもあり、松陰は外国へ行くことを考えて長崎のロシア軍艦のもとへ向かいます。しかし、彼が長崎に着いた頃にはロシア船は出航した後でした。

そんな松陰にまたとないチャンスが巡ってきます!
翌年、ペリーが条約締結のために再来航したのです。
松陰は、長州藩士・金子重之輔と共に、ポーハタン号に小舟で近づいてこっそり乗船し、自分の志を伝えます。ですが、アメリカにとっても条約締結の大事な時期です。当然渡航は拒否され、彼らは船を下りることに…。
松陰は奉行所に自ら申し出て、下田の牢に入った後、江戸の伝馬町牢屋敷に投獄されました。
十思公園(江戸伝馬町牢屋敷跡)

十思公園(江戸伝馬町牢屋敷跡)

十思公園内にある「時の鐘」。
牢屋敷の処刑の際には、この鐘の音を合図にして死罪の罪人の首をはねたと伝わります。
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2度目の投獄は安政の大獄

松陰が伝馬町牢屋敷に2度目に収容されたのは、安政の大獄の時です。

安政5年(1858)、幕府は、アメリカとの間に不平等条約である日米修好通商条約を調印します。勅許(天皇の許し)を得られないままの調印に、各所からの幕政批判が高まりました。
大老・井伊直弼は、老中・間部詮勝(まなべ・あきかつ)に、幕政に反発する人物たちの取り締まりを命じ、安政の大獄が始まります。

松陰はそんな幕府のやり方を見て、老中・間部詮勝要撃(襲撃)を計画するのですが、その過激な考えは、高杉晋作や久坂玄瑞のような熱心な塾生たちからも反対されてしまいます。
十思公園の隣、大安楽寺にある伝馬町処刑場跡

十思公園の隣、大安楽寺にある伝馬町処刑場跡

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松陰は、長州藩重役の周布政之助(すふ・まさのすけ)にあてて、老中要撃についての手紙を書きますが、松陰にある程度理解を示していた周布であっても、これは容認できることではありませんでした。
松陰は長州藩の牢獄・野山獄に投獄され、その中で死生観や草莽崛起(そうもうくっき)について考える日々を送ります。

一方、安政の大獄ですでに幕府に捕まっていた梅田雲浜(うめだ・うんぴん)。
雲浜は、攘夷志士たちの先鋒となり、幕政批判をしていた人物でした。そのため幕府は雲浜と繋がっている人物を調べ上げていくのですが、そこに元から幕府に目をつけられていた松陰の名前が挙がってしまいます。
松陰先生終焉之地の碑(十思公園内)

松陰先生終焉之地の碑(十思公園内)

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過激な計画を自ら話してしまった松陰

幕府から引き渡しが命じられ、松陰の江戸送りが決定すると、彼のもとには疎遠となっていた人々が訪れたといわれています。

安政6年(1859)7月9日、松陰の1回目の取り調べが行われました。拷問を受けた梅田雲浜の口から松陰の名が出たことで、二人の間に密議があったのではと疑われていたことや、幕政批判を記した筆跡が松陰のものではないかといった疑いでした。
しかし松陰は、雲浜とは学問について語っただけで、性格も合わず志を語る仲ではないと否定し、幕政批判についても自分なら署名して堂々と書くと、否定。

ここまでで終わればよかったのでしょうが、松陰は老中要撃計画についても自ら話してしまいます。どうやら松陰は、幕府方はすでにこのことを知っていたと思っていたようです。

しかし取り調べをしていた奉行たちは、寝耳に水の話に驚き、その後も松陰へ2回、3回と厳しく取り調べを行います。松陰は「老中をお諫めしようとしただけ」と主張し、それが受け入れられたと感じた時期もあったようです。途中、自分はそこまでの重罪にはならないと手紙を書いています。

ところが、4回目の取り調べで、供述書に「老中と刺し違える覚悟」など言った覚えのない言葉が並んだ時、松陰は愕然としながらも自らの死を覚悟をしたのでした。

安政の大獄の死者が眠る、小塚原回向院(東京都荒川区)

小塚原回向院(えこういん)

小塚原回向院(えこういん)

南千住の駅からほど近い回向院。
刑死者の菩提を弔うための場所でした。
入って右奥に、安政の大獄や桜田門外の変関係者の墓所があります。
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小栗さくら

小栗さくら

中学生時代に司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』を読んで以来、歴史に興味を持つ。 駒澤大学歴史学科卒業と同時に博物館学芸員資格を取得。 現在『歴史タレント』として、TVやCMに出演。また、イベント司会、講演会、コラム執筆と幅広く活躍中。 諏訪市公認キャラクター・諏訪姫の声優も務めている。 タレント活動と並行し「さくらゆき」というアーティスト名で歴史をテーマにした楽曲の発信、ライブ等を行っている『歴史系アーティスト』でもある。 公式

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