【徳川家康最大の悲劇!?】「信康事件」と信康ゆかりの地
2017年11月11日 更新

【徳川家康最大の悲劇!?】「信康事件」と信康ゆかりの地

天正7年(1579)8月、織田信長の命令のもと、家康が嫡男・信康を切腹させたといわれる「信康事件」。さまざまな説が唱えられる中、最近では、徳川家臣団の分裂を避けるため、家康がやむを得ず下した決断だったともいわれています。今回は、この痛ましい事件の主人公・信康に焦点をあて、短い人生の軌跡を辿りながら、ゆかりの地をご紹介します

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江戸時代になって「松平」に格下げ?

松平信康

松平信康

岡崎三郎信康像
勝連寺蔵
松平信康は永禄2年(1559)3月6日、松平元康(後の徳川家康)の長男として駿府で生まれます。母は今川義元の姪の築山殿です。

ちなみに、現在では「松平信康」と表記されますが、家康は信康の元服前の永禄9年(1566)にすでに徳川に改姓しているので、生前は徳川信康と名乗っていた、ということになります。
しかし、江戸時代に入ってから、江戸幕府が「徳川」姓は徳川将軍家と御三家のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「松平信康」に格下げされたそうです(泣)。

そんな信康ではありますが、ゆかりの地である駿府、岡崎城は、家康の居城だっただけに、城も公園も整備されていてめぐりやすいです。また、信康が活躍したといわれる横須賀城や、切腹の現場となった二俣城も、どちらも山城としても見応え抜群の城です。

信康の生涯を辿りながら、ゆかりの地をめぐりたいと思います。

生まれは今川領下の駿府(静岡市)

信康は幼少期、今川氏の人質として駿府で過ごします。
桶狭間の戦いで義元が討ち死にすると、家康は義元の娘婿である鵜殿氏長の城を攻め、その息子・氏次ともども人質にとり、信康との交換に成功。信康は岡崎城に移ります。
駿府城公園にある徳川家康像

駿府城公園にある徳川家康像

駿府は、14世紀に駿河守護になった今川氏によって、今川館が築かれ、今川領の中心地となっていました。しかし、武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われます。その後、武田氏も天正10年(1582)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿府を含む駿河の武田遺領は家康が領有することになります。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となってから駿府に隠居します。現在の駿府城が、ほぼ今の形である3重の堀を持つ輪郭式平城になったのは、この時の大修築によるものです。
静岡市のシンボル!駿府城の東御門と巽櫓

静岡市のシンボル!駿府城の東御門と巽櫓

巽櫓は、珍しいL字型の平面で、駿府城の櫓の中ではもっとも高い櫓だったとか。
2014年に完成した、駿府城の坤櫓

2014年に完成した、駿府城の坤櫓

静岡市のシンボルとも言える駿府城。
東御門と巽櫓には、駿府城公園内より発掘された資料の展示や、家康が幼少期の人質時代に太原雪斎から教えを受けたとされる、臨済寺の部屋の復元「竹千代手習いの間」が見られます。

また、2014年に完成した坤櫓は、床板と天井板をすべて取り外しており、1階から3階の梁まで見通すこと可能。伝統的な工法によって復元された櫓の構造が一目瞭然です。

家康の栄華は、信康とのことがあってこそだと思うと、感慨深いものです。
アクセスはJR静岡駅より徒歩15分。静岡にお立ち寄りの際はぜひ、チェックしてみてください。

12歳で城主となった岡崎城(愛知県岡崎市)

永禄5年(1562)、家康と織田信長による清洲同盟が成立。永禄10年(1567)5月に、信康は信長の娘である徳姫と結婚します。ともに9歳という若夫婦ですが、岡崎城で暮らすようになります。
その2カ月後には元服し、信長より「信」の字を、父・家康から「康」の字をそれぞれ与えられて信康と名乗ります。信長と家康の同盟関係を象徴する、ものすごい名前だということがわかります。

元亀元年(1570)、信康は12歳にして正式に岡崎城主となります。幼い領主を支えるために、新たに家臣団を作り、徳川は、浜松家臣団と岡崎家臣団に分かれることとなったのです。
紅葉に映える岡崎城

紅葉に映える岡崎城

via 写真提供:岡崎市
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