家康から「鬼孫」と絶賛された最後の戦国武将・小笠原忠真の生涯とゆかりの地
2017年10月12日 更新

家康から「鬼孫」と絶賛された最後の戦国武将・小笠原忠真の生涯とゆかりの地

小笠原忠真(1596〜1667)という武将をご存知でしょうか?曽祖父は徳川家康と織田信長、大坂夏の陣で奮戦し、家康から「鬼孫」と絶賛されるほどの武将でした。その戦功により信濃国松本、播磨国(兵庫県)明石を経て、豊前国小倉の藩主となり、やがて「九州御目付」「九州探題」として活躍します。没後350年にあたる今年、北九州市立いのちのたび博物館では「最後の戦国武将 小倉藩主 小笠原忠真展」が開催中です。今回はこの展覧会の内容を中心に、知られざる武将、忠真の功績とゆかりの地を紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

華麗なる血をひく小笠原忠真

小笠原忠真画像

小笠原忠真画像

広寿山福聚寺蔵
via 写真提供:北九州市いのちのたび博物館
小笠原忠真もとい小笠原氏は知る人ぞ知る一族ではないでしょうか。

小笠原氏は甲斐源氏の流れを汲み、祖先は信濃国の守護を務めていました。忠真の父方の曽祖父は武田信玄と戦った小笠原長時です。

天正17年(1589)、忠真の父・小笠原秀政は豊臣秀吉の仲介で、徳川家康の子・信康と織田信長の娘・徳姫の子である福姫を娶ります。つまり忠真の母方の曽祖父は徳川家康と織田信長ということになります。

慶長11年(1606)、忠真は徳川2代将軍秀忠から「忠」の字を与えられ、元服します。このことからも、忠真が華麗なる血をひく、セレブ武将だったということがわかります。

戦国最後の決戦・大坂夏の陣

小笠原忠真所用具足

小笠原忠真所用具足

広寿山福聚寺蔵
via 写真:北九州市いのちのたび博物館
慶長20年(1615)、大坂夏の陣で、信濃国松本藩主だった父・秀政と兄・忠脩(ただなが)は戦死してしまいます。当時、現役の大名と世継ぎの戦死は極めて珍しいものでした。忠真も重傷を負いながら奮戦し、家康から「わが鬼孫なり」と絶賛されました。この戦功により松本8万石の大名となります。

展覧会では忠真と、父・秀政、兄・忠脩の甲冑が展示されています。特に忠真の血染めの甲冑は必見です!
小笠原忠政所用具足

小笠原忠政所用具足

広寿山福聚寺蔵
via 写真提供:北九州市いのちのたび博物館
小笠原忠脩所用具足

小笠原忠脩所用具足

広寿山福聚寺蔵
※前期(10/7〜11/5)のみ展示
via 写真提供:北九州市いのちのたび博物館

忠真、ついに小倉藩主となる

忠真は松本藩主となった後、忠脩の未亡人・五姫(本多忠政の娘)を将軍秀忠の仲介で娶ります。当初、忠真は忠脩の遺児・幸松丸(のちの小笠原長次)の名代だったと言いますが、3代将軍家光の信任を得て、播磨国(兵庫県)明石10万石に加増移封され、さらに寛永9年(1632)、豊前国小倉15万石に国替となりました。

忠真の手腕により、小倉は九州の要衝として大切な役割を果たすようになりますが、小倉に入るまでも、現代の日本に通じる礎を残しています。

ここではまず、小倉に来る前の忠真ゆかりの地をご紹介します。

実は、小笠原氏の居城だった松本城

松本城

松本城

国宝として有名な松本城も、実は深志城といって、小笠原氏の本拠地・林城の支城だったのです。

その後小笠原氏を倒した武田氏の信濃支配の拠点となりますが、武田氏滅亡後は徳川家康の支配下となり、小笠原氏が城主として復帰します。この時松本城と名を改めました。
家康の関東移封後は豊臣秀吉配下の石川数正が城主となり、その子康長が跡を継ぎますが、その康長が改易されると、再度小笠原氏が城主として復活するのです。

現代の天守はその後の改築によるものですが、小笠原氏がその礎を築いたことは確かです。天守に登ったとき、2度も城を取り戻した小笠原氏の苦難を思い出してみてください。
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