【 忠臣蔵・赤穂浪士四十七士】港区・泉岳寺に48人の墓がある理由
2018年2月6日 更新

【 忠臣蔵・赤穂浪士四十七士】港区・泉岳寺に48人の墓がある理由

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、主君・浅野内匠頭の仇討ちに、大石内蔵助が率いる赤穂浪士47名は、吉良上野介の屋敷に討ち入りを行いました。この事件を題材に作られた演目「仮名手本忠臣蔵」は、江戸時代中期から現在に到るまで、舞台にドラマ、映画となり、人気を博しています。今回は、歴史をテーマにした街歩きガイドを務める岡田英之さんが、赤穂浪士たちが預けられた地と、彼らが眠る泉岳寺の墓の謎について紹介します。

岡田英之岡田英之

元禄15年12月14日、事件勃発

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入りの場面

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入りの場面

「忠臣蔵」とは『仮名手本忠臣蔵』の通称。江戸時代中期、「赤穂事件」を題材とした人形浄瑠璃および歌舞伎の演目として流行しました。
元禄15年12月14日(1703年1月30日)、その事件は起きました。

元赤穂藩家老の大石内蔵助良雄が率いる、赤穂浪士の総勢47名が、鎖帷子と鉢金などで完全武装して、本所深川(現在の墨田区両国)の吉良上野介義央の屋敷に夜討ちをかけたのです。

浪士たちの綿密な事前調査により、吉良邸内の様子を把握し、この日は吉良上野介が在宅しているという情報を元にした、用意周到な襲撃でした。
世に言う、「忠臣蔵」の仇討ち、クライマックスです。

「忠臣蔵」のきっかけとなった殿中刃傷事件

浅野長矩

浅野長矩

播磨赤穂藩3代藩主。浅野内匠頭(たくみのかみ)と、官名で呼ばれることが多いです。
元々は、元禄14年(1701)3月14日、江戸城本丸の大廊下(通称松の廊下)で、年賀の返礼に訪城した勅使を饗応していた赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、上役の吉良を斬り付けたという、一大事件に端を発しています。

何があったのかは諸説あってはっきりしませんが、いずれにしても、江戸城の中で抜刀したということ(勅使を迎える際でもあること)が大きな罪となり、浅野は重罪人となりました。

ちなみにこの時、吉良を保護、介抱したのは、かの桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の分家の末裔で、品川豊前守伊氏です。

浅野内匠頭の最期

この場に集まったのは、元々「高家」として格式が高く、朝廷からの使者や儀礼を取り仕切るノウハウや技能をもっている人々です。

当然、浅野内匠頭も、城内で抜刀して上役を斬りつけるということの重大さを認識していたとは思うのですが、なぜ、この様な行動に出たのか、なかなか深い謎として残ります。
そもそも、命を狙ったのであれば、帯刀が許されていた脇差で、切りつけるよりも刺した方が自然でもあるのです。

いずれにしても、重罪人となった浅野内匠頭は、罪人駕籠に乗せられて、江戸城の梅林坂を下り、不浄門ともいわれる平川門から場外に出され、芝愛宕下の一ノ関藩、田村右京太夫武顕(たけあき)の屋敷に身柄を預けられ、即日切腹となりました。

そして、城主が罪人となって切腹させられた赤穂藩は取りつぶしとなったのです。

斬り付けたことを赤穂藩に伝える使者は、江戸から赤穂までをわずか5日で駆けたということからも、その重大さが伝わってきます。後に、討ち入りに手を挙げた、萱野三平もその使者の一人でした。
高輪の泉岳寺にある大石内蔵助の像

高輪の泉岳寺にある大石内蔵助の像

松の廊下で浅野内匠頭が斬りかかった「松の廊下事件」の報告の書面を読んでいる姿ともいわれています。
via 写真提供:岡田英之

赤穂藩再興の夢が破れ、討ち入りを決意

浪人となった赤穂藩士の再就職先や分配金を手当てするなど、家老の大石内蔵助は奔走しましたが、吉良上野介を主君の敵とする赤穂浪士たちの声は強硬でした。

大石内蔵助らは、浅野内匠頭の弟、浅野大学長広を赤穂藩主として立てて、赤穂藩を再興しようとしますが、翌年の元禄15年(1702)7月、浅野大学は浅野内匠頭の罪に連座することとなり、本家の安芸広島藩浅野宗家にお預けとなりました。要するに、引退と同様の事態となったのです。

それにより、赤穂藩の再興は夢と消え、吉良上野介への憎しみが増し、一気に討ち入りへの声が高まっていったのでした。

吉良上野介を討った赤穂浪士たちは?

吉良上野介を討ち取った赤穂浪士たちですが、果たしてこれが「仇討ち」となるのかどうかで、幕府で意見が割れました。

赤穂浪士らは、4家の大名家に身柄を預けられ、その処分を待つことになりますが、処分の決まるまで、2カ月弱かかっています。
大石内蔵助を始めとした17名は肥後熊本藩の細川家下屋敷に、大石主税良金、堀部安兵衛武庸ら10名は伊豫松山藩の松平家中屋敷に、そして長府藩の毛利家上屋敷に10名、岡崎藩の水野家に9名が、それぞれ預けられていました。

預けられていた家によって待遇が違った浪士たち

肥後熊本藩細川家の下屋敷

肥後熊本藩細川家の下屋敷

泉岳寺の裏手、高輪のマンションの建つ静かな一帯に、17名の切腹の地がのこされています。この辺りが、肥後熊本藩細川家の下屋敷でした。扉が締められていますが、隙間からその場所を垣間見ることができます。
via 写真提供:岡田英之
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岡田英之

岡田英之

おかだひでゆき。1977年、神奈川県生まれ。株式会社歩き旅応援舎での古地図散歩や、SNSを活用した博物館散歩、鎌倉散歩といった街歩きなどのガイドを務める。特に、歴史ある「場所」「モノ」に対する、専門用語を使わない、わかりやすい解説を得意としている。テレビ朝日系列「羽鳥慎一のモーニングショー」のコーナー、「良純未来図」や、BS朝日の「テイバン・タイムズ」に歴史案内人として複数回出演。著書に『東京街かど タイムトリップ』(河出書房新社)がある。 公式

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