「家康の天下は黒田家のおかげ」黒田長政の遺言書が福岡市博物館で公開中
2018年8月4日 更新

「家康の天下は黒田家のおかげ」黒田長政の遺言書が福岡市博物館で公開中

元和9(1623)年8月4日は、福岡藩初代藩主・黒田長政の命日です。彼が亡くなる2日前に遺した「黒田長政遺言覚」が、福岡市博物館にて2018年7月31日(火)から9月30日(日)まで展示中。その内容は、黒田家の御家存亡を憂いたものだったようで…。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

黒田長政、関ヶ原の戦いでの功績

今年2018年、生誕450年を迎えた黒田長政。大河ドラマにもなった父・如水(官兵衛)の嫡男として知られ、偉大な父と比較されがちですが、長政自身も優れた武将でした。

長政最大の功績といえば、やはり関ヶ原の戦いでの活躍ぶり。
この戦いで東軍についた長政は、本戦での武功はもちろん、西軍諸将を調略するなど勝利に大きく貢献しました。その功績により、徳川家康から筑前を与えられ、福岡藩の初代藩主となります。

長政は、そのときの功績をかなり自負していたようです。亡くなる2日前に遺した遺言状にもその旨が記されています。
「黒田長政像」(部分)

「黒田長政像」(部分)

福岡市博物館所蔵

黒田家の行く末を案じる中に自負心の強さが垣間見える長政の遺言書

「黒田長政遺言覚」冒頭部分

「黒田長政遺言覚」冒頭部分

via 福岡市博物館所蔵
亡くなる直前、重臣である栗山大膳と小河内蔵允に黒田家の行く末を託した遺言を残した長政。
将来の御家存亡の危機を憂いた長政は、「家康公が天下をとれたのは、ひとえに父・如水と自分の活躍の賜物である」ことを詳しく説き、万一の時にはそのことを幕府に主張して黒田家を存続させるように命じています。長政がいかに関ヶ原での功績を誇りに思っていたのかがわかります。
「黒田長政遺言覚」末尾部分。亡くなる2日前、元和9年8...

「黒田長政遺言覚」末尾部分。亡くなる2日前、元和9年8月2日の日付が記されている

via 福岡市博物館所蔵
また遺言書には「もし父・如水がその気になって、西国の諸大名たちと結束すれば、織田信長・武田信玄・上杉謙信が家康公に味方しても勝利することはできなかった」とも書いているのです。

死を目前にした長政の心配事は、黒田家の存続でした。将来において御家取りつぶしの危機の際は、父・如水と自身の関ヶ原の戦いにおける功績に免じて黒田家の存続を認めてもらえるよう、黒田家の活躍ぶりを家老たちにひそかに縷々語り伝えたのです。子孫に聞かせると、思いあがって幕府への奉公がゆるがせになるとして、家老たちの後継者のみで伝達していくように命じています。

黒田家の行く末を思う長政ならではの遺言書、実は3m近くに渡って書かれています。全文を見てみたいという方は、ぜひ福岡市博物館で9月末まで展示中の現物をご覧になってみてくださいね。
・平成30年7月31日(火)から9月30日(日)
黒田家名宝展示「黒田長政遺言覚」

<開催中>
・平成30年7月7日(土)~ 8月26日(日)
ボストン美術館浮世絵名品展「鈴木春信」、福岡市博物館所蔵「幽霊・妖怪画の世界」展も同時開催中!

休館日:毎週月曜日 ※ただし8月13日は開館、8月16日は休館
開館時間:午前9時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)
※8月26日までの金・土・日曜日及び8月13日・14日・15日は夜8時まで延長(入館は7時30分まで)
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