「日本男色史巡り 第5回:藤原頼長」『悪左府』と呼ばれた日本最強の男色家を慕う旅
2018年3月30日 更新

「日本男色史巡り 第5回:藤原頼長」『悪左府』と呼ばれた日本最強の男色家を慕う旅

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載『日本男色史巡り』。第5回は、命日8月1日(1156年)を記念してスペシャル版。NHK大河ドラマ「平清盛」で山本耕史さんが演じて話題になった、日本男色界のスーパースター藤原頼長様を取り上げます。「悪左府」「よろずにきわどき人」と恐れられた人物の秘められた思いとは!?

黒澤はゆま黒澤はゆま

お母上が安産を祈った革堂

八月一日(旧暦七月十四日)といえば、日本で知らぬものはない、藤原頼長様の命日でございます。

八百六十一年前の今日、博覧強記の天才学者、「悪左府」と畏れられた剛腕政治家、貴族政治の最凶クローザー、そして日本男色界のスーパースター頼長様は、非命にたおれられました。

家柄、美貌、才智、およそ男の美徳と言うべきものすべてを兼ね備えながら、運だけには恵まれなかった、そのはかない運命は、今でも全世界数十億人の善男善女の目を熱くさせています。

今回は、命日を記念し、頼長様の足跡を慕い、御霊をしのぶ旅をいたそうと思います。それは、きっと美の旅、涙の旅、何よりも愛の旅になるに違いないのでございます。
革堂(行願寺)

革堂(行願寺)

寛弘元年(1004年)、行円上人が一条小川の一条北辺堂跡に創建したのが縁起。残念ながら、大火などにより何度か移転しており、現在あるのはお母上がお参りしたのとは別の場所。
via 筆者撮影
頼長様の古代と中世の境(あわい)を分かつ、彗星のごとき人生は、御母堂が革堂で安産を祈念されたことからはじまりました。

革堂は常に皮をまとっていたことから、皮上人とあだなされた行円が開いたお寺で、貴族よりも京の庶民に愛されたお寺です。

後に頼長様自身も「母の賤しき」と記していますが、お母上のご実家は、同じ藤原といっても摂関家嫡流の夫忠実とはくらぶべくもない、受領階級の家の出で、父親(頼長様にとっては祖父)の盛実も摂関家の家司として、忠実に多年仕えた人物です。

お母上もそのことを気にしていたのでしょうか。

高貴な貴族たちの通う取り澄ました大刹ではなく、民草が市塵にまみれた悩みを打ち明けに行く、小さな、しかしそれだけに優しい温もりの感じさせる小寺で、両手をあわせ健やかな子供をと願われました。

そのお加護もあって、保安元年(1120年)5月、玉のような子供に恵まれるのですが、母上様自身はお体が弱かったのか、まだ頼長様が幼少の頃に早世してしまいます。

この顔も覚えていない実母のことを、頼長様は生涯お慕いしていたようです。

ただ、父忠実の正妻である、源師子が養母、嫡母となっていたため、頼長様は実母への愛着をそうあからさまには出来ませんでした。師子は、右大臣をつとめた源顕房を父とする権門の出であるうえ、後に頼長の政敵となる、兄忠通の母親。摂関家継承のためにも、表向きは師子を母としてたてておく必要があったのですね。

そのため、台記のなかで、「母」と書くのは師子の方で、実母については「昔人」とややそっけない表記で記しています。

しかし、父忠実が「お前のお母さんが夢に出て来てね。お前を身ごもってた頃に参詣してた革堂にお参りしなさいねって言ってたよ」と伝えてきたときには、
「感応惟新、退憶往事、落涙難抑矣」
(こんなに感動したのは初めて! 思い出がよみがえって涙がとまらない)
via 台記
と、大感激しています。

二人の母親に挟まれつつ、父忠実に向ける、頼長様の視線は複雑なものがあったのですね。それが父の方から、実母の話をしてくれたので、頼長様は無邪気に嬉しかったようです。ちなみに、この逸話は頼長様が30歳の時のもの。頼長様……

頼長様は、とにかくアクが強く、逸話もどぎついものばかりなのですが、後世の我々に、何とないいじましさを感じさせるのは、その苛烈な言動の裏面に、母との縁に恵まれなかったいたいけない子供の存在を感じさせるからなのかもしれません。

ちなみに、頼長様が保元の乱に敗れた際、最後まで付き従った、藤原盛憲、経憲、玄顕兄弟は、皆お母上の係累のものばかりだったりします。

いずれにせよ、頼長様の華麗な人生に、終生に渡って、長い長い影を差しているかのような、お母上は歴史にはただ藤原盛実の娘と記され、名も残っておりません。
革堂の猫

革堂の猫

革堂で日向ぼっこしていたつがいの猫。頼長様は猫好きなお方で、子供の頃、瀕死の病になった愛猫のため、千手像を絵に描いて祈ってやったという逸話が残っています。
via 筆者撮影

鷹を臂にし、馬に鞭打って山野を駆馳した宇治時代

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

永承7年(1052年)、忠実のひいおじいちゃんにあたる藤原頼通が創建。平等院の周囲には藤原氏の別業が建ち並び、詳細は不明ながら、忠実が隠遁し、頼長様が幼少期を過ごしたであろう冨家殿・小松殿も近辺にあったと思われる。
via 筆者撮影
五月、菖蒲をめでる月に生まれたため「菖蒲若」という可憐な幼名をつけられた頼長様ですが、子供時代を過ごしたのは、父忠実が居住する宇治でした。

藤原道長から数えて四世目にあたる忠実は、ふっくらした可憐な容姿で、声も優に美しく、老齢になっても不思議に濁らず澄んだ音だったそうです。頼長様も、大変な美貌の持ち主だったようですが、それは父譲りのものだったと思われます。

実務においても、新興勢力の武士の力を取り入れ、院政に押され気味だった、摂関家の力を再び盛り返させるなど、なかなかの才腕の持ち主でした。特に、当初、日向国諸県の数百町歩ほどの小規模なものでしかなかった、島津荘を肝付氏など在地領主の力を利用して、日向・薩摩・大隅の三カ国にまたがる、大荘園に開発させた事績は有名です。

ちなみに、大河ドラマ「平清盛」では、頼長様に欠かせぬマスコットキャラだった白い鸚鵡ですが、もし実在したとしたら、それは島津荘を通じ、海外との交易で得たものだった可能性があります。実際、台記にも、頼長の兄の忠通が西海荘から献上された鸚鵡を、鳥羽院に進上した記事があり、この西海荘は野口実さんの「列島を駆け巡る平安武士」のなかでは、島津荘に比定されています。

このように大陸、南海も視野に入れた巨大な交易圏を支配し、富家殿とあだ名されるほどの富裕を誇った忠実ですが、頼長様が生まれた頃は、娘の勲子の入内問題で白河法皇の不興を買い、宇治に隠遁を余儀なくされていました。要は干されて暇だったわけですが、そのために有り余った勢力を忠実は頼長様の養育に注いだようです。

父親の愛情のもと、頼長様は宇治で幼年期を伸び伸びと過ごしました。

台記には、
鷹を臂にし、馬に鞭打って山野を駆馳
via 台記
とあり、案外、体育会系で活発な少年だったようです。

宇治と言えば、藤原頼通の建立した平等院鳳凰堂や、源氏物語の宇治十帖など、優雅なイメージがありますが、実際には奈良と京都を結ぶ要衝で、槙島の漁撈民から発展したと思われる渡辺党など、数多の武士の供給地でもありました。

この地を抑えることは、京都と、旧都の奈良にいわば短刀をつきつけるのと同意だったわけです。

当時の宇治の街並をおおざっぱに表現すると、平等院のある宇治川西岸は瀟洒な別業が建ち並ぶ貴族の世界でしたが、一方の、東岸は骨柄たくましく、身も心も猛々しい、殺生を生業とする武士の世界でした。

宇治北郊の木幡野と、南方の栗前野が古来遊猟の地でしたから、頼長様の言う山野は恐らくこの二つの「野」を指しているものと思われます。頼長様は宇治橋を渡って、貴族の世界と、武士の世界を行ったり来たりしていたわけですが、その数十年後、宇治川を境に曲がりなりにも仕切られていた、貴族と武士の世を、この美しい少年がしっちゃかめっちゃかにかき交ぜることになるのです。
神明神社

神明神社

白鳳三年(674年)天武天皇の詔により、栗子山上に造営されたと伝えられる。頼長様が獲物を追って駆け巡ったと考えられる栗前野は、この神社周辺と比定されている。
via 筆者撮影
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黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

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