【幕末の名君】宇和島藩主・伊達宗城と「宇和島市立伊達博物館」
2017年12月20日 更新

【幕末の名君】宇和島藩主・伊達宗城と「宇和島市立伊達博物館」

伊達といえば仙台ですが、伊達政宗の長男・秀宗が初代藩主となった宇和島藩も忘れてはいけません。特に8代藩主・宗城は、幕末維新に貢献した名君として知られています。今回は宇和島藩の始まりから宗城の活躍とともに、宇和島市立伊達博物館で開催中の「伊達宗城×幕末」の見どころをご紹介します。

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宇和島市立伊達博物館にある伊達宗城像

宇和島市立伊達博物館にある伊達宗城像

via 撮影:ユカリノ編集部

宇和島藩のはじまりは伊達政宗の長男・秀宗から

仙台藩主としてあまりにも有名な伊達政宗。もうひとつの伊達、伊予宇和島藩主になる秀宗は、天正19年(1591)9月25日、政宗の庶長子として生まれました。

秀宗の半生は人質として過ごしています。4歳で豊臣秀吉のもとへ差し出され、関ヶ原の戦いのときには石田三成方の宇喜多秀家の人質になり、徳川の天下になると徳川方の人質に。その家康のすすめで、慶長14年(1609)徳川四天王のひとり、井伊直政の娘・亀姫を正室に迎えました。

一方で、政宗の正室・愛姫に男子が生まれます。慶長16年(1611)に江戸城で元服し、将軍・秀忠から一字をもらった忠宗です。このことから、徳川氏の世では秀吉のもとで元服した秀宗よりも、忠宗のほうが仙台藩主にふさわしいと判断されたようです。
こちらは仙台藩2代藩主・伊達忠宗

こちらは仙台藩2代藩主・伊達忠宗

秀宗の行く末を心配したのでしょう。父・政宗は家康に掛け合い、慶長19年(1614)、大坂冬の陣にて秀宗と参戦、褒賞として与えられた伊予宇和島10万石の初代藩主を秀宗にしたのです。

宇和島藩主として、秀宗は藩内で領内検地や定免法の採用などを行いました。晩年は中風を患い、明暦4年(1658)6月8日、江戸藩邸で人生を終えています。

宇和島藩の居城・宇和島城

宇和島城

宇和島城

JR宇和島駅から徒歩約13分。
via 撮影:ユカリノ編集部
宇和島城は藤堂高虎によって慶長6年(1601)に築城された名城です。
高虎の転封後は伊達秀宗が入城し、以来、伊達家歴代の居城となりました。2代藩主・宗利のときに老朽化した城郭の改修を行い、現在に至っています。天守は現存する12の天守のうちのひとつで、比翼の千鳥破風を組み合わせている外観が特徴です。
この地に来たら、絶対マストなゆかりの地です。

幕末の名君!宇和島藩8代藩主・伊達宗城

伊達宗城

伊達宗城

伊達宗城は旗本・山口直勝の次男として文政元年(1818)、江戸で生まれました。

宗城の祖父は宇和島藩5代藩主・伊達村候(むらとき)の次男・直清で、山口家の養子になっていました。後継者に恵まれなかった7代藩主・伊達宗紀(むねただ)の五女・貞と婚約して宗紀の婿養子となります。

しかし貞は若くして亡くなり、結婚にいたりませんでした。宗城は天保11年(1840)、のちの佐賀藩主・鍋島斉直の娘である益子と婚姻しています。そして天保15年(1844)、養父が隠居したために宗城は8代目の藩主となったのです。

春嶽、容堂、斉彬とともに「四賢侯」に

左から、松平春嶽、山内容堂、島津斉彬

左から、松平春嶽、山内容堂、島津斉彬

藩主となった宗城は、先代の藩政改革をさらに発展させます。
もともと進歩的な考えの持ち主であった宗城は、思想犯として追われていた高野長栄を招き蘭学を学んだり、村田蔵六を招いて軍艦の研究をさせたりと近代化にも積極的でした。

福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬とも交流を持ち、宗城を入れて「四賢侯」と呼ばれるようになります。彼らは幕府の政治にも参加。阿部正弘が老中のときには意見も取り入れられていました。

しかし阿部正弘が急死し、井伊直弼が大老に就任すると宗城たちとの対立が起こります。
その主な原因は、13代将軍家定の後継者問題でした。一橋慶喜を推す四賢侯に対し、徳川慶福(家茂)を推す直弼。結局、安政の大獄によって一橋派は排除され、宗城は春嶽・斉昭らとともに隠居謹慎となってしまいます。
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