「頑固一徹」の由来!信長にも一目置かれた武将・稲葉一鉄とは?
2018年11月19日 更新

「頑固一徹」の由来!信長にも一目置かれた武将・稲葉一鉄とは?

「頑固一徹」という言葉は、日本人なら馴染みのある言葉だと思います。実は、この言葉は稲葉一鉄という武将が語源といわれていることをご存知でしょうか。あの織田信長相手にも頑固を通した、剛毅な勇将の生涯とゆかりの地をご紹介します。

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西美濃三人衆のひとり・稲葉良通

本名は稲葉良通。一鉄は出家後に号したもので、これが『頑...

本名は稲葉良通。一鉄は出家後に号したもので、これが『頑固一徹』の語源になったといわれる。

永正12(1515)年、美濃に生まれた一鉄。六男だったために早々に出家しました。しかし、父と兄5人が戦で全員討死してしまい、21歳の時に還俗して家督を継いだのです。

春日局出生の地でもある?一鉄の居城・曽根城址(岐阜県大垣市)

現在は「曽根城公園」として花しょうぶの名所になっている。

現在は「曽根城公園」として花しょうぶの名所になっている。

via 写真提供:岐阜県
永禄年間に一鉄が築いたのが大垣市の曽根城です。本丸跡には一鉄の母の菩提寺・華渓寺があります。

一鉄の娘は斎藤利三に嫁ぎ、福(後の春日局)を生みますが、彼女はこの曽根城で生まれたという説があります。後に明智光秀の裏切りによって賊臣の娘となった彼女を、一鉄は引き取ったということです。

“頑固一徹”の語源!信長の申し出も断る頑固さ

土岐頼芸や斎藤道三に仕えた一鉄は、「西美濃三人衆」のひとりとして斎藤氏の重臣となりました。道三の側室となり義龍を生んだ深芳野は姉に当たり、道三と義龍が対決した長良川の戦いでは、一鉄は義龍側に付くことを選びます。
しかし、義龍が急死すると、跡を継いだ龍興に対しては早々に見切りをつけ、織田信長に通じることになりました。
織田信長

織田信長

織田信長に仕えてからの一鉄は、一向一揆や浅井・朝倉氏との戦で活躍。毎年のように戦に出陣しながらも、ほぼ負けなしでした。姉川の戦いでの功績は大きく、信長からは「長」の字を取って「長通」に改名してはと言われますが、一鉄は「徳川殿の方が功績は大きいので」とこれを固辞。まさに頑固一徹な性格を見せています。

ある時、讒言を受けた信長は一鉄を暗殺しようとします。すると招かれた一鉄は、部屋の掛け軸に書かれた漢詩をすらすらと読み上げてみせました。その教養深く堂々たる一鉄の態度に、信長が「自分が間違っていた」と意図を明かして謝ると、なんと一鉄は「実は自分も暗殺されるのではないかと思っていたので、一人でも道連れにしようと、懐に刀を忍ばせておりました」と答えたといいます。信長は「あっぱれな奴め!」と感服し、いっそう信頼を厚くしたそうです。

自分に厳しく、家臣を思いやっていた一鉄

他にも、一鉄の人格を物語るエピソードとしてこんな話があります。

ある時、兵糧を司る家臣が田畑の洪水を見物して楽しんでいたと耳にした一鉄は、「任命責任は自分にある」として、自らしばらく粗食で過ごしたといいます。一方で、その家臣については「この一件だけで見捨てるわけにはいかない」と50日の閉門で済ませたそうです。
自分に厳しく、家臣を思いやる人物だったのですね。

本能寺の変で信長亡き後は秀吉に仕えた一鉄。一乗谷城の戦いでの武功により与えられた美濃清水城で、天正16年(1588年)11月19日にその生涯を終えています。

一鉄と妻が眠る月桂院(岐阜県揖斐川町)

月桂院

月桂院

via 写真提供:月桂院
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