信長もおもてなしに取り入れた!岐阜・長良川の鵜飼の歴史
2018年5月11日 更新

信長もおもてなしに取り入れた!岐阜・長良川の鵜飼の歴史

水鳥である鵜(ウ)を使って鮎などを獲る漁法・鵜飼。特に岐阜県長良川の鵜飼は、織田信長や徳川家康にも好まれ、現在は宮内庁式部職である鵜匠により、毎年5月中旬から10月中旬まで年8回、御料鵜飼が行われています。今回は長良川の鵜飼の歴史から、同じ長良川でもタイプの違う岐阜市と関市の鵜飼をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

1300年以上の歴史があるとされる長良川の鵜飼

海鵜(ウミウ)

海鵜(ウミウ)

現在は川鵜(カワウ)より少し体の大きい海鵜での鵜飼が多いとか。
日本での鵜飼の始まりは、稲作とともに中国から伝承したとする説や、中国とは別に発生したとする説があり、はっきりしていません。
大宝2年(702)、正倉院に納められた美濃国の戸籍には、鵜飼を生業としていた集団の出身と考えられる「鵜養部目都良売(うかいべのめづらめ)」という記述があり、長良川の鵜飼の歴史が1300年以上ある由来とされています。

鵜飼で獲れる鮎は、一般的な漁法と違い傷がつきません。また鵜の食道で瞬時に気絶させるので、新鮮さが保たれるのです。そのために貴重なものとされ、献上品として扱われていました。

鵜飼をおもてなしに取り入れた織田信長

織田信長

織田信長

おもてなしの人だった!?信長。
鵜飼を漁ではなく、「見せる(=魅せる)」おもてなしとして最初に取り入れたのが織田信長といわれています。

永禄7年(1564)、長良川で鵜飼を見物した信長は、鷹匠と同様に鵜匠として給与を与えたとか。
「おもてなし」として取り入れたのは永禄11年(1568)、信長の嫡男・信忠と武田信玄の娘・松姫との婚約のとき。祝儀の進物を届けにきた信玄の使者・秋山伯耆守を、信長が鵜飼観覧に招待したのが始まりとされています。

また徳川家康も鵜飼を見物。鮎の味に感動した家康は、江戸城に毎年鮎を献上させたといわれています。
この後も長良川の鵜飼は、尾張徳川家によって保護をうけることとなりました。

日本で唯一、皇室に献上される「御料鵜飼」とは?

「ぎふ長良川鵜飼」

「ぎふ長良川鵜飼」

長良川の鵜匠は明治23年(1890)、宮内省主猟寮の所属となりました。
今も9人の宮内庁式部職鵜匠による御料鵜飼が、岐阜市と関市の2カ所で行われています。
毎年5月中旬から10月中旬の間、8回の漁が行われ、獲れた鮎は皇室に献上、また明治神宮と伊勢神宮にも奉納されます。

同じ長良川でも違う?岐阜市と関市の鵜飼

御料鵜飼は公開されていませんが、通常の鵜飼は期間中ほぼ毎日開催されています。
同じ長良川の鵜飼でも、岐阜市と関市では少しタイプが違うのです。

賑やかな「ぎふ長良川鵜飼」(岐阜市)

「ぎふ長良川鵜飼」の総がらみの様子

「ぎふ長良川鵜飼」の総がらみの様子

岐阜市で開催される「ぎふ長良川鵜飼」は、毎年5月11日の鵜飼開きで鵜飼安全祈願祭を行ったあと、太鼓の演奏や花火の打ち上げなど、とても賑やかなのが特徴です。
また納涼鵜飼日には「総がらみ」といって、6隻の鵜舟が横一列になって浅瀬に鮎を追い込む漁法を見ることができます。
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