【8月11日は山の日!】いつか行きたい日本三大山城
2018年8月10日 更新

【8月11日は山の日!】いつか行きたい日本三大山城

日本三大山城とは一般的に岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高市群)、備中松山城(岡山県高梁市)をさします。標高が721mと最も高い場所にあるのが岩村城、麓から頂上までの比高が390mと最も高いのが高取城、そして備中松山城は天守が現存する唯一の山城になります。「山の日」の本日、初心者には憧れの山城を紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

もっとも標高が高い山城・岩村城(岐阜県恵那市)

霧の岩村城

霧の岩村城

via 日本の城 写真集
標高721mの場所にある岩村城は、鎌倉時代中期に遠山景朝により築かれました。霧が多いことから霧ヶ城ともいわれています。この遠山景朝は、養子縁組により血のつながりこそありませんが、あの「遠山の金さん」こと遠山景元の先祖にあたるそうです。

岩村城は戦国時代までは遠山氏の支配下にありましたが、1571年に当主の遠山景任が死去すると、織田信長から養子を迎えます。しかし、その子はまだ幼少であったため、養母に当たる景任の夫人、おつやの方が女城主として城を守りました。

裏切られた「おんな城主」

翌年、岩村城は武田信玄の配下である秋山虎繁に攻められます。遠山方の奮戦により、城はなかなか落ちず、結局は虎繁が夫人を妻に迎えることを条件に説得することで、ようやく開城となりました。

1575年、長篠の戦いで武田家が弱体化すると、今度は信長により攻撃されてしまいます。岩村城は落城し、虎繁夫妻は助命の約束を破られ処刑されました。

織田方の城となった岩村城は、川尻秀隆の手により現在の形に近いものに改修され、その後城主となった各務元正により現代の城郭が完成しました。

石垣、曲輪と保存状態のいい遺構を堪能

追手門の石垣

追手門の石垣

現在の通路部は空堀となっており、畳橋と呼ばれる橋が渡されていた。また正面には三重櫓があったとされる。
via 日本の城 写真集
東曲輪下の帯曲輪

東曲輪下の帯曲輪

via 日本の城 写真集
本丸にある井戸

本丸にある井戸

via 日本の城 写真集
明治時代の廃城令により、建造物は解体されましたが、遺構の保存状態がよく、曲輪、高石垣、井戸などが遺っています。

本丸の外側に二の丸、西側には出丸、二の丸の外側には三の丸がありました。本丸に天守はなく、二重櫓がふたつあるだけで、三の丸大手口にあった三重の到着櫓が天守のような存在だったとされています。

また八幡曲輪が地元の八幡神社の本殿に、土岐門が城下の徳祥寺の山門として移築されるなど、建造物が拝めるのも魅力です。

もっとも比高が高い山城・高取城(奈良県高市群)

本丸虎口

本丸虎口

通路は狭くS字型にクランクしており、非常に厳重な守り。
via 日本の城 写真集
比高(麓と山頂までの高低差)が390mと最も高いことに加え、城内の面積1万平方m、周囲3km、総面積約6万平方mに及ぶ、日本最大規模の山城として知られる高取城。

築城されたのは南北朝時代の1332年、南朝方だった越智邦澄によるものとされています。

織田信長により一度は廃城となりますが、本能寺の変以後に筒井順慶の手により本格的な山城へと改修されます。そして1585年、豊臣秀長の配下である本田利久が城主となり、天守と小天守、27の櫓、33の門を持つ壮大な山城に改築されたのです。

小天守に櫓名、どこまでも個性派な山城

30 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

ユカリノ編集部

ユカリノ編集部

全国各地の「ゆかりの」エピソードをほぼ毎日お届け。知ればもっと行きたくなる、歴史の聖地巡礼へご案内します! 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【2018年に周年を迎える平清盛、伊能忠敬…】年末年始の旅行におすすめ!ゆかりの地めぐり

【2018年に周年を迎える平清盛、伊能忠敬…】年末年始の旅行におすすめ!ゆかりの地めぐり

のんびり過ごす年末年始もいいですが、せっかくのお休みですし、どこかに出かけてみませんか?今回は、年末年始でも間に合う!穴場的な偉人ゆかりの地や、おすすめスポットを紹介します。2018年に周年を迎える平清盛や伊能忠敬、特別番組で話題の「風雲児たち」ゆかりの地もこの時期ならねらい目ですよ。
全国より厳選!この秋行きたい紅葉がきれいな城10選

全国より厳選!この秋行きたい紅葉がきれいな城10選

木々が色づく秋。街より少し標高の高い場所にある城は絶好の紅葉観賞スポットでもあり、イベントやライトアップも開催されます。今回は特に紅葉が見事な城を全国から厳選。紅葉が早いと思われる北方面から順にご紹介します。天守とのコントラスト、木々に囲まれた遺構がたまらない、今だけの景色が見られる季節にぜひお出かけください。
関ケ原とあわせて立ち寄りたい!石田三成たち西軍の拠点となった大垣城

関ケ原とあわせて立ち寄りたい!石田三成たち西軍の拠点となった大垣城

岐阜県大垣市にある大垣城。町のシンボルとして愛され、2017年には「続日本100名城」にも選定されました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいては石田三成ら西軍の本拠地にもなっています。関ヶ原の戦いゆかりの地としても、ぜひ立ち寄っていただきたいスポットのひとつです。
【芸術の秋!武将まつりの秋!】2017年9月おすすめの歴史イベントまとめ

【芸術の秋!武将まつりの秋!】2017年9月おすすめの歴史イベントまとめ

まだまだ暑い日が続く9月は、歴史イベントも楽しみなものが盛りだくさん!人気武将のまつりに、注目の展覧会、この秋は幕末維新150周年にちなんだイベントも続々登場します。まつりではしゃぐ秋、芸術に触れる秋、そして歴史を学ぶ秋…いろんな秋をお楽しみください!
【天下統一は岐阜から始まった!】命名450年、織田信長と岐阜城の歴史

【天下統一は岐阜から始まった!】命名450年、織田信長と岐阜城の歴史

永禄 10年(1567)8月15日。今から450年前の今日、織田信長は美濃を攻略。本拠地を移し、町の名を「岐阜」に改めました。信長は岐阜城を拠点に天下統一に乗り出し、その決意を示すように、中国の教えから引用した「天下布武」の印を使い始めたと伝えられます。今日は岐阜命名の日にちなみ、信長と岐阜城の歴史をひも解いていきましょう。
【日和見?律儀?】評価が分かれる佐竹義宣、秋田の礎を築いた藩政改革

【日和見?律儀?】評価が分かれる佐竹義宣、秋田の礎を築いた藩政改革

元亀元年7月16日(1570年8月17日)、常陸の戦国大名・佐竹義宣は「鬼義重」こと佐竹義重の息子として誕生しました。父の築いた地盤を受け継いで常陸をほぼ手中に収めた義宣ですが、関ヶ原の戦いの後は遠く出羽へと転封されてしまいます。その理由は彼の人となりが原因だった?今回は佐竹義宣の生涯とゆかりの地をご紹介します。
水攻めにも負けない難攻不落の城!忍城の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第3回】

水攻めにも負けない難攻不落の城!忍城の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第3回】

歴史ナビゲーターの長谷川ヨシテルさんが古戦場をレポートする連載。第3回は「忍城の戦い」です。豊臣秀吉の小田原征伐に伴い、現在の埼玉県行田市にある忍城を巡り発生したこの戦い。今回もその舞台を合戦に参加した足軽さんとともにレポートします。
平安時代のイケメン・在原業平、ゆかりの地が多いのはモテ男だからこそ?

平安時代のイケメン・在原業平、ゆかりの地が多いのはモテ男だからこそ?

日本の歴史上の人物のなかで“イケメン”といえば、みなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。写真が残る人物としては、新選組の「鬼の副長」こと土方歳三、15代将軍・徳川慶喜などの人気が高いようですが、平安時代を代表する美男子といえば、歌人として有名な在原業平。日本各地にゆかりの地が残る業平、その理由とは?
第10回:どこから撮ってもフォトジェニック!国宝「松江城」【月刊 日本の城】

第10回:どこから撮ってもフォトジェニック!国宝「松江城」【月刊 日本の城】

webサイト「日本の城写真集」の管理人・けいすけさんが、日本の名城の見どころ、撮りどころを徹底的に紹介する連載「月刊 日本の城」。第10回は松江城をご紹介します。水濠脇にそびえる高い石垣、石垣上に建つ櫓、そして現存天守と、どこを切り取っても絵になる松江城のおすすめポイントを写真を中心にご紹介します。
実は「桔梗紋」じゃなかった?明智光秀の家紋と出生の謎【家紋のルーツ:第2回】

実は「桔梗紋」じゃなかった?明智光秀の家紋と出生の謎【家紋のルーツ:第2回】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する連載。今回は明智光秀の桔梗紋です。前半生が謎に包まれた光秀ですが、そもそも桔梗紋じゃなかった?さらに産湯が4カ所もあるなど、光秀の謎と桔梗紋のルーツに迫ります。