徳川幕府ゆかりの縁切寺・満徳寺、その驚くべき縁切り方法とは!?
2018年11月30日 更新

徳川幕府ゆかりの縁切寺・満徳寺、その驚くべき縁切り方法とは!?

縁結びにご利益のある寺社は女性に人気の観光スポットとして定着していますが、「縁切り」にご利益のある寺社はそうそう見かけません。しかし徳川幕府の時代、「縁切寺」は女性にとってありがたい救済スポットでした。現在でも縁切寺として知られる群馬県太田市の満徳寺で行われている縁切りとはどのようなものなのか?江戸時代に縁切寺が必要だった理由とともに追ってみました。

みかめゆきよみみかめゆきよみ

なぜ縁切り寺が必要だったか

満徳寺本堂。1994年に復元されたものです。

満徳寺本堂。1994年に復元されたものです。

via 撮影:みかめゆきよみ
現代ではゲス不倫や熟年離婚など、夫婦の離縁の在り方は様々ですが、江戸時代、女性から離婚を突きつけることはできませんでした。相手がどんなダメンズでも別れることができなかったのです。現代の女性からしたら、なんて法律だ!と思うかもしれませんが、それが当たり前だったのですね。

だからといって、女性もただ泣き寝入りするだけではありませんでした。悩める女性を救済するため、女性から離縁をすることが可能な「縁切寺」が各地にあったといいます。しかし江戸時代になるとその数が減り、徳川幕府が認める公認の縁切寺は2箇所だけになってしまいました。
ひとつは神奈川県鎌倉市の東慶寺。もうひとつは群馬県太田市の満徳寺です。

東慶寺は家康の孫・千姫とその養女にゆかりのある尼寺。満徳寺は徳川家発祥の地にゆかりのある尼寺です(東慶寺については「歴ニン君」に詳しくご紹介しているのであわせてどうぞ)。
どちらも徳川家に関係している点がポイントですね。

どうやって縁切りしたの?

夫とどうしても離縁したい妻。しかし女性側から離婚を突きつけることはできません。そこで妻は、女性側から離婚を成立させられる唯一の機関、縁切寺へと走ります。文字通り走るのです。 それに気が付いた夫が逃がすまいと追いかけてくる。逃れたい妻は走る走る! なんという修羅場でしょう。その様子から「駆け込み寺」とも言われています。現在でも困っている人を救ってくれる場所や物事を「駆け込み寺」と言いますが、ここからきているのですね。

満徳寺では、敷地内に妻が身に着けていたものや体の一部が入れば駆け込み成立だったのだとか。取っ組み合いになってあわや連れ戻されそうになった時、女性は必至の思いで草履を投げたりかんざしを投げたりしたのでしょうね。

さて、無事に駆け込みが成功したら、役人が調停役となり、晴れて女性側から離婚を突きつけることが可能になります。もし夫側がゴネても、妻が寺に満2年在籍すれば離婚が成立しました。どのみち駆け込みに成功すれば、女性は晴れて自由の身になれたというわけです。ゴネると後々厄介なことになるので、多くの場合は離婚調停によって解決したようです。
女性の駆け込みはあくまで武士の間の話。庶民の女性はわりと自由で、したたかに生きていたようです。現在では離婚届に夫婦が合意して両者がハンコを押して離婚が成立しますが、この時代は片方から一方的に「離縁状」を交付することで離婚が成立しました。字を書けない庶民のために、3本半の長さの線を引くことで離縁状が成立するようになっていたのだそうです。別れることを「三行半(みくだり半)」と言うのはここからきているのです。

悪縁を流す場所はなんと…!満徳寺で縁切り体験してみた

撮影:みかめゆきよみ (26184)

徳川氏発祥の地、群馬県太田市に位置する満徳寺。町名も「徳川町」。
via 撮影:みかめゆきよみ
さて、現在の満徳寺をみていきましょう。満徳寺は徳川幕府の終焉と共に役割を終えますが、現在は整備され、本堂・門などが復元されています。隣には太田市立縁切寺満徳寺資料館も併設され、縁切寺の歴史を知ることができます。

女性の駆け込み寺としての役目を終えた満徳寺ですが、現在も「縁切寺」としてのお役目を果たしています。しかも縁切りだけでなく、縁結びも可能です。その驚くべき方法とは……
太田市立縁切寺満徳寺資料館。この中で驚くべき縁切りが行...

太田市立縁切寺満徳寺資料館。この中で驚くべき縁切りが行われている……

via 撮影:みかめゆきよみ
トイレです。しかも和式。「悪縁はきれいさっぱり水に流そ...

トイレです。しかも和式。「悪縁はきれいさっぱり水に流そう」というわけです。

via 撮影:みかめゆきよみ
撮影:みかめゆきよみ (26188)

縁切り、縁結びは資料館内で配布されている「縁切札・縁結札」セットを用います。HPから郵送で取り寄せることも可能です。
via 撮影:みかめゆきよみ
セットには送付用の封筒も入っています。

セットには送付用の封筒も入っています。

via 撮影:みかめゆきよみ
縁切りは白。縁結びは黒。お間違えなきよう。

縁切りは白。縁結びは黒。お間違えなきよう。

via 撮影:みかめゆきよみ
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みかめゆきよみ

みかめゆきよみ

漫画家、イラストレーター、ライティングも少々。プロの真田幸村ファン(自称)。火縄銃・居合などの実践経験を活かした記事が得意。エンタメを通じて歴史の楽しさを伝えることがモットー。著書に『ふぅ〜ん、真田丸』(実業之日本社)。『北条太平記』(桜雲社)。『戦国の城がいちばんよくわかる本』(西股総生著 KKベストセラーズ/イラスト担当)、『真田幸村の系譜 直系子孫が語る四〇〇年』(真田徹著 河出書房新社/ 執筆協力 )。 公式

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