戦国の革命児・織田信長! 銅像でたどる覇王の生涯「ニッポン銅像探訪記 第7回:織田信長像」
2018年5月12日 更新

戦国の革命児・織田信長! 銅像でたどる覇王の生涯「ニッポン銅像探訪記 第7回:織田信長像」

「有史以来、もっとも有名な日本人は誰か?」なんて国民調査は行われたことがないですが、行われれば間違いなくTOP3には入る人物なのが、今回紹介する織田信長。「天下人」「魔王」「麒麟児」「革命家」など彼を讃える称号は多くありますが、どんな言葉であってもその範疇に収まらないほど、日本人として規格外の人物でした。今も日本人が大好きな人物ゆえ、銅像も数多く残っています。今回は彼の略歴や居城の変遷を追いかけながら、覇王の像を紹介していきましょう。

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

世にも珍しい乳飲み子時代の銅像

織田信秀と土田御前、吉法師の像。

織田信秀と土田御前、吉法師の像。

勝幡駅の再整備事業の一環として2013年に造られた。この銅像の裏手には、勝幡城の復元ジオラマが設置されている。
via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
まずは信長の生誕地である勝幡城(愛知県愛西市)へ。最寄り駅である勝幡駅前のロータリー脇には、両親の織田信秀と土田御前に抱かれた、生まれたばかりの信長(吉法師)像が設置されています。著名人の少年時代の銅像はたまに見かけますが、乳幼児時代の銅像が造られるというのは世界的にもたいへん珍しい。さすが信長! 自分たちの息子を愛おしく見つめる信秀と土田御前ですが、まさかこの可愛らしい赤ん坊が、のちに自ら「第六天魔王」を名乗るなんて想像もしていなかったでしょう。
赤ん坊を見つめる信秀と土田御前。

赤ん坊を見つめる信秀と土田御前。

ちなみに昔の伝記には、信長は乳母の乳首を何人も噛みちぎったなんて書いてありましたが、根も葉もない作り話なのでしょう。
via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
なお、信長の生誕地はずっと、勝幡城とする説と那古屋城(名古屋城の前身)とする説で割れていました。しかし現在では、信長が生まれた段階で、信秀はまだ那古屋城を手中に収めていなかったことが指摘され、勝幡城説が有力です。この生誕地論争に決着をつけるかのように立てられたのがこの親子像(設置は2013年)。信長らしからぬアットホームな描写に、見ているこちらもほのぼのとしてきますね。

運命の地・桶狭間で義元といっしょにハイチーズ

清洲公園に立つ、おそらく1番有名な信長像。1936年(...

清洲公園に立つ、おそらく1番有名な信長像。1936年(昭和11)に設置された。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
父・信秀の死後、清洲城を居城としていた信長に、人生最大の試練が降りかかります。そう、桶狭間の戦いです。

桶狭間の戦い時点で信長が居城としていたのが、名古屋の北に位置する清洲城(愛知県清須市)です。現在の清洲城とは川をはさんだ対岸の清洲公園に立つ信長像は、今まさに桶狭間へと出陣する姿を模したもの。信長といえば南蛮甲冑が知られますが、この銅像は古いタイプの胴丸鎧。左手は刀の柄頭をしかとつかみ、右手は首から下げた数珠を祈るようにつかんでいます。圧倒的不利とされた今川義元との決戦に挑む、その不安と決意をよく表しているといえるでしょう。
桶狭間の戦いへと思いを馳せる信長。口ひげを生やし、数え...

桶狭間の戦いへと思いを馳せる信長。口ひげを生やし、数え年27歳とは思えぬ貫禄。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
桶狭間の地を遠く見据えている信長像の脇には、その信長を一心に見つめる女性像が立ちます。信長の正室・濃姫の像です。濃姫像はもともと清洲城広場に立てられていましたが、離れていてはかわいそうと思われたのか(移転理由は不明)、2012年にこちらの公園に移転してきました。そして付けられた名称が、「始まりの地〜二人の愛と希望の丘〜」。シリアスな信長像にはちょっとメルヘンチックなタイトルにも感じますが、信長の覇道はまさに桶狭間への決戦に向かったところから始まったわけで、それゆえの「始まりの地」「希望の丘」なのでしょう。
まるではじめからここに置かれることを計算して作られたか...

まるではじめからここに置かれることを計算して作られたかのように、まっすぐに信長を見つめる濃姫。ただ、このような夫婦の関係性はちょっと前時代的かも、と感じてしまうのは著者だけでしょうか。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
濃姫像の移設後、この地は「夫婦円満」「立身出世」「必勝...

濃姫像の移設後、この地は「夫婦円満」「立身出世」「必勝祈願」のパワースポットとして喧伝されている。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
さて、決死の出撃をした信長は、東海の雄・今川義元を討ち取るという大戦績をあげました。大軍を率いる義元は油断しており、谷間の地で酒宴をあげていたところを織田軍に奇襲された、というのがこれまでよく語られた桶狭間の戦いのストーリーでしたが、さすがにこの説を無批判に受け入れたドラマやマンガは少なくなってきました。近年一般的になった筋立ては、信長は丘陵の上に陣取る今川軍を正面から攻めたのだが、直前に降った大雨が目くらましとなって気付かれないまま進軍でき、今川軍は突如現れた織田軍に対応できないまま大混乱の最中に義元の首が討たれた、というもの。信長に利する天の配剤があったわけです。
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滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

かみゆ歴史編集部は「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。最近の編集制作物に『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『歴史REAL 山城を歩く』(洋泉社)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』(学研プラス)、『廃城をゆく5〜戦国の城を極める!』など。代表の滝沢弘康は講演や講座、メディア出演も行う。 公式

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