司馬遼太郎が脚光を当てた幕末最後のサムライ・河井継之助ゆかりの地
2018年9月14日 更新

司馬遼太郎が脚光を当てた幕末最後のサムライ・河井継之助ゆかりの地

幕末の越後長岡藩の家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)。司馬遼太郎の小説「峠」で一躍全国区の英雄となりました。日本国中が勤皇か佐幕かで別れる中、継之助は長岡藩を「独立自尊の中立国」たらんとする理想を追い求めますが、新政府軍に容れられず、心ならずも幕府側の立場で戦います。そして戊辰戦争中、最も激烈と言われた北越戦争の指揮をとった傑物でした。ここでは、その継之助の想いが感じられるゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

継之助を知るならここ!河井継之助記念館(新潟県長岡市)

河井継之助記念館

河井継之助記念館

via 写真提供:長岡市
JR長岡駅から徒歩で10分ほどの長岡市長町にある河井継之助記念館は、継之助の生家跡に建てられています。館内には、長岡藩牧野家の家紋や旗印のほか、継之助直筆の書状や使用した軍扇、さらに長岡藩が密かに購入していたガトリング機関砲のレプリカを目にすることができます。

ガトリング機関砲は1分間に120発の弾丸を発射できる武器で、当時日本に3門しかない内の2門を長岡藩が有していました。この記念館に残る継之助の書で「民は国の本、吏は民の雇」という近代国家の精神を集約した書があり、継之助の先見性を今に伝えています。
河井継之助記念館内に展示されているガトリング砲(複製)

河井継之助記念館内に展示されているガトリング砲(複製)

via 写真提供:長岡市

運命を決した慈眼寺 

河井継之助・岩村精一郎が会談した「会見の間」

河井継之助・岩村精一郎が会談した「会見の間」

via 写真提供:小千谷市
長岡市に隣接する小千谷市にある慈眼寺は、北越戊辰戦争の発端になった場所です。長岡藩の中立性を主張し、会津藩を説得して戦を回避する役を担う旨を新政府軍に申し入れるため、継之助は新政府軍と交渉に臨みます。

この時、対応したのは土佐の岩村精一郎という24歳の若者でした。精一郎は、継之助を田舎家老と決め付けて全く相手にせず、会談はわずか30分ほどで終わったと言われています。いわゆる「慈眼寺会談」が行われた部屋が今も残されています。
この会談決裂の瞬間、凄惨な北越戊辰戦争の幕が切って落とされたのです。

朝日山の戦いで新政府軍を破る 

朝日山古戦場

朝日山古戦場

via 写真提供:小千谷市
長岡藩と新政府軍の激戦は、小千谷と長岡を結ぶ街道にある「榎峠」を巡って、火蓋が切られました。最初、榎峠を抑えたのは新政府軍でしたが、長岡藩は新政府軍を上回る近代化した精鋭によって、あっさりと奪還します。

そして榎峠を見下ろす朝日山が次の戦略上の拠点になり、朝日山の戦いが繰り広げられたのです。この激戦で、長州藩の奇兵隊を率いていた参謀・時山直八は戦死。「長岡藩恐るべし」との認識を新政府軍が共有した戦いとなったのです。

継之助無念の地、八丁沖古戦場パーク

「長岡城奪還作戦の舞台となった八丁沖古戦場パーク」

「長岡城奪還作戦の舞台となった八丁沖古戦場パーク」

(画像は長岡市HP)
長岡城の東北郊外にかつて広大かつ深い泥沼池がありました。沈んだら二度と浮かんでこれない泥沼として、地元の人も近づかない場所でした。その名を八丁沖(はっちょうおき)といい、その広さは南北5km、東西3kmに及んだそうです。

新政府軍の奇襲によって、一度長岡城は落城しました。士気の回復を目的に継之助は、この八丁沖を渡って奇襲する策をとります。一晩がかりで八丁沖を渡った継之助たち長岡藩の精鋭は、夜明けに長岡城に奇襲をかけました。敵の意表を突いたこの作戦で長岡城奪還に成功しました。しかし、奪還戦の折、継之助が流れ弾によって左膝に流れ弾を受け指揮を執ることが不可能になり、長岡藩は無念の会津への撤退を決断するのです。
23 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

ユカリノ編集部

ユカリノ編集部

全国各地の「ゆかりの」エピソードをほぼ毎日お届け。知ればもっと行きたくなる、歴史の聖地巡礼へご案内します! 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

「“八重の桜”は宝物」綾瀬はるかさんの会津愛に感動『戊辰150周年記念式典&会津まつり』レポート

「“八重の桜”は宝物」綾瀬はるかさんの会津愛に感動『戊辰150周年記念式典&会津まつり』レポート

2018年9月22日(土)~24日(月)に福島県会津若松市で開催された「戊辰150周年記念会津まつり」。メインイベントとなる23日の藩公行列には、NHK大河ドラマ「八重の桜」で主役・山本八重を演じた綾瀬はるかさんと、その子供時代を演じた鈴木梨央さんが登場。おふたりは前日に行われた「戊辰150周年記念式典」のトークショーにも参加。祭りの模様と共に、式典での貴重なお話しをレポートします。
斎藤一、白虎隊、新島八重…戊辰戦争の舞台・会津【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第2回】

斎藤一、白虎隊、新島八重…戊辰戦争の舞台・会津【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第2回】

歴史タレント・小栗さくらが、幕末維新ゆかりの場所を旅する「小栗さくらがゆく!幕末維新のみち」。第2回は歴史が息づく町、会津。鶴ヶ城から徒歩で行ける場所を中心に、新選組隊士・斎藤一や白虎隊、新島八重など戊辰戦争に関わった人々のゆかりの地を紹介します。9/22から3日間、会津まつりもありますので、行かれる方はぜひチェックしてください。
全国より厳選!2018年夏休みにおすすめの歴史イベント10選

全国より厳選!2018年夏休みにおすすめの歴史イベント10選

夏といえばおまつり!2018年の夏休みも全国ではさまざまな歴史イベントが催されます。東京では特別展「縄文」が、京都では二条城の特別公開が開催。アツい武将まつりから涼しい水軍まつり、一度は行きたい伝統のまつりまで、10のイベントを厳選してご紹介。夏休みの国内旅行の予定がまだ決まっていない人は必見です。
2018年は明治維新150年!夏に開催のおすすめ企画展5選

2018年は明治維新150年!夏に開催のおすすめ企画展5選

明治維新150年にあたる今年。高知や山口などの主要箇所もちろん、全国各地で企画展が開催されています。普段の歴史旅や夏休みにプラスしたい企画展の内容をご紹介します。
第9回:戊辰戦争より150年、激戦地・福島県の3城を巡る【月刊 日本の城】

第9回:戊辰戦争より150年、激戦地・福島県の3城を巡る【月刊 日本の城】

webサイト「日本の城写真集」の管理人・けいすけが、日本の名城の見どころ、撮りどころを徹底的に紹介する連載「月刊 日本の城」。第9回は福島県の城です。鳥羽・伏見の戦いから始まった戊辰戦争。旧幕府軍として戦った会津藩は激戦地となりました。その舞台となった白河小峰城、二本松城、会津若松城をご紹介します。
【会津若松市戊辰150周年記念事業】鶴ヶ城プロジェクションマッピング「はるか2018」が3月に開催

【会津若松市戊辰150周年記念事業】鶴ヶ城プロジェクションマッピング「はるか2018」が3月に開催

2018年は戊辰戦争終結から150周年を迎える節目の年。福島県会津若松市では、幕末を起点とした明治から平成までの、会津の歴史的意義の再認識を図る機会として、「会津若松市戊辰150周年記念事業」を開催。3月には鶴ヶ城プロジェクションマッピング「はるか2018」など、様々な企画が行われます。会津の歴史を考える貴重な機会、ぜひチェックしてみてください。
【直江兼続から井伊家へ】波乱万丈!?名門が受け継いだ与板藩の歴史

【直江兼続から井伊家へ】波乱万丈!?名門が受け継いだ与板藩の歴史

与板藩は、現在の新潟県長岡市にあった小さな藩です。その系譜は、大河ドラマ「天地人」の主人公でおなじみの直江兼続から、同じく「おんな城主 直虎」で知られる井伊家にまで受け継がれます。また、戊辰戦争においても重要拠点となり、新政府軍に大きな貢献を果たしました。しかしそうなるまでには、波乱万丈な歴史があったのです。今回は、そんな与板藩の成り立ちとゆかりの地をご紹介します。
【京都守護職として活躍】幕末の会津藩主・松平容保ゆかりの地

【京都守護職として活躍】幕末の会津藩主・松平容保ゆかりの地

幕末の会津藩主・松平容保。動乱の中で京都守護職となり、孝明天皇と徳川家茂の公武合体政策を支え、京都の治安維持に貢献します。大政奉還後は、朝敵とされながら新政府軍と戦った、悲劇の藩主でもありました。新選組や、白虎隊との繋がりも深かった松平容保の生涯とゆかりの地を紹介します。
【利家&まつ、龍馬&おりょう…】あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

【利家&まつ、龍馬&おりょう…】あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

11月22日は「いい夫婦の日」ですね。歴史上にもおしどり夫婦と呼ばれるカップルがいますが、みなさんは、誰に憧れますか?戦国の動乱を夫婦の絆で乗り越えた利家とまつ、追われる夫の危機を救った幕末を代表する夫妻・龍馬とおりょうなど、今回は時代を超えて親しまれるおしどり夫婦5組のゆかりの地をお届けします。ぜひ、その地をめぐって幸せなふたりにあやかりましょう♪
大和撫子なんて時代錯誤!ニッポンを牽引した強き女性たち「ニッポン銅像探訪記 第11回:女性像」

大和撫子なんて時代錯誤!ニッポンを牽引した強き女性たち「ニッポン銅像探訪記 第11回:女性像」

今回のテーマは女性像。今や男女同権が当たり前、筆者が属するメディア業界を見渡しても、前線で活躍しているのは女性が中心。向こう見ず、もとい、活発で聡明な女性スタッフに牽引されなければ、もはやコンテンツづくりなど成り立たないのではないかとさえ思います。日本史を見返しても、男社会を引っ張った女性は多くいました。男たちを先導し、時代を切り開き、さらには銅像となってリスペクトを受けるニッポンの「強き女性」たちを紹介しましょう。