文明開化の味!明治「牛鍋」事始め【偉人が愛した肉料理:第8回】
2018年11月29日 更新

文明開化の味!明治「牛鍋」事始め【偉人が愛した肉料理:第8回】

毎月29日の「肉の日」にちなみ、食文化史研究家の永山久夫さんが偉人の愛した肉料理を紹介する連載。今回は、11月29日「良い肉の日」ということで、明治の偉人たちも愛した牛鍋に注目。文明開化の象徴として、“食わない奴は時代遅れ”とされた牛鍋の歴史を辿ります。

永山久夫永山久夫

牛鍋から始まった文明開化

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明治元(1868)年、約260年にわたった徳川幕府は、国際化という時代の波に対応できなくなり崩壊する。
明治新政府の幕が上がり、7月には江戸が「東京」と改称。新政府の政策のひとつが、欧米先進国の文化を積極的に取り込み、日本の国力と文化を引き上げることであった。
文明開化の時代となったのである。

西洋料理も取り入れられ、それまでタブー視されていた牛肉食も、政府はことあるごとに推進した。

牛肉奨励キャンペーンに応えるように、戯作者として有名な仮名垣魯文(かながき・ろぶん)は明治4年刊行の『安愚楽鍋(あぐらなべ)』の中で「おしなべて、牛肉食わねば開けぬ奴」と書いており、“牛肉を食わない奴は時代遅れ”だと煽っている。
ちなみに『安愚楽鍋』とは、あぐらをかいて食べる牛鍋という意味だ。
『安愚楽鍋』の挿絵は河鍋暁斎によるもの。

『安愚楽鍋』の挿絵は河鍋暁斎によるもの。

via 国立国会図書館デジタルコレクション

明治のグルメは牛肉を刺身で

福沢諭吉も「日本人が虚弱なのは、肉を食べないからであり、肉は薬である」と言っている。
明治7年の『東京開化繁昌誌』を見ると、当時のメニューには「すき焼き、なべ物、玉子焼き、塩焼き、煮つけなど」とあり、牛鍋とは別に「すき焼き」があって、しかもトップメニューになっている点が注目される。
「東京開化繁昌誌」に描かれている牛鍋屋の様子

「東京開化繁昌誌」に描かれている牛鍋屋の様子

via 国立国会図書館デジタルコレクション
「牛鍋」という呼び名は、明治末期にはほとんど使われなくなり、「すき焼き」が主流となった。牛肉の刺身もあり、食通は酢味噌をつけて食べている。

国際的にも大人気となった「スキヤキ」

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明治の牛鍋は最初から牛肉、白ネギ、それに調味料も入っていて、客は自分好みに煮ながら食べる。
一方、すき焼きは、まず鍋に牛脂を溶かして牛肉を軽く焼き、醤油・砂糖・酒などを混合して作った下地で味付けして食べる。すき焼きの本場は関西であり、その料理法を参考にして東京の牛鍋でも出していた。

東京にはビジネスで上方の人たちもたくさん来ており、店では同じ牛肉料理でも、東京流、関西流と分けて出しているうちに、すき焼きというメニュー表示になった。

そして今や日本を代表する牛肉料理となり、国際的にも「スキヤキ」として大人気のメニューになったのである。

明治期の「牛鍋」を味わいたいなら

横浜市には明治元年(1868年)に創業した元祖牛鍋屋「太田なわのれん」が現存しているほか、愛知県犬山市の博物館 明治村にある「大井牛肉店」でも牛鍋が味わえる。
明治村大井牛肉店。神戸元町に牛肉販売・牛鍋料理店として...

明治村大井牛肉店。神戸元町に牛肉販売・牛鍋料理店として建てられ、建造物は登録有形文化財になっている。

via 撮影:ユカリノ編集部
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永山久夫

永山久夫

食文化史研究家。食文化史研究所、綜合長寿食研究所所長。元西武文理大学客員教授。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や伝統的な和食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年研究している。著書に『永山豆腐店 豆腐をどーぞ』『和食の起源』『日本人は何を食べてきたのか』『100歳食入門』『長寿食365日』『なぜ和食は世界一なのか』など多数。 公式

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