意外と知らない?東大の赤門は、加賀前田家ゆかりの門だった
2018年11月27日 更新

意外と知らない?東大の赤門は、加賀前田家ゆかりの門だった

受験シーズン到来。合格発表の日に必ずと言っていいほど話題になるのが東京大学ですよね。中でも、東大の赤門といえば誰もが「ああ、あの門ね」とすぐにイメージが湧くほどポピュラーな場所。ところでその赤門、実は加賀藩前田家ゆかりの門だったことをご存知でしょうか?今回は、東大の赤門と前田家のご縁についてご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

赤門が建設された理由

 (1507)

東大の本郷キャンパス(文京区本郷)にある赤門は、実は正門ではありません。
というのも、赤門は東大のために建設されたものではないからなんですね。

東大の赤門は、もともと加賀藩前田家の江戸藩邸上屋敷の御守殿門として建てられたものでした。御守殿とは、江戸時代において三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の姫君の敬称であり、彼女が住む奥御殿のことでした。その門なので、御守殿門と呼ばれたというわけです。

御守殿門は丹塗りだったために外観が赤く、そのため「赤門」と呼ばれたのです。
赤門は、焼失した場合は再建されない決まりとなっていました。東大の赤門は、戦時の空襲や天災を逃れた、現存唯一の御守殿門なのです。
1910年頃撮影された赤門(東京帝国大学)。大正元年卒...

1910年頃撮影された赤門(東京帝国大学)。大正元年卒業アルバムより。

東大の赤門となる御守殿門は、文政10(1827)年、第12代藩主前田斉泰が11代将軍徳川家斉の21女・溶姫(やすひめ)を妻として迎えた際に建設されました。溶姫自体は悪い人ではなかったようですが、幕府が付けた取り巻きの態度が悪く、加賀藩士からはあまり良く思われなかったなんて話も。
『近世人物誌 徳川溶姫君』(月岡芳年)画

『近世人物誌 徳川溶姫君』(月岡芳年)画

11代将軍・徳川家斉の二十一女。二十一女ってどんだけ…
ちなみに、家斉は50人以上の子をもうけ、通称「オットセイ将軍」と呼ばれた上様です。
11代将軍・徳川家斉

11代将軍・徳川家斉

さすが加賀100万石!前田家大名屋敷の広さはハンパない

地図中央左の広い敷地が前田家の屋敷です。

地図中央左の広い敷地が前田家の屋敷です。

via 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代、大名には参勤交代が義務付けられていました。そのため、大名はそれぞれ江戸に藩邸を持ち、同時に正室や嫡子を人質として住まわせていたのです。

藩邸には上屋敷・中屋敷・下屋敷があります。中屋敷には隠居した藩主や未亡人などが住み、下屋敷は当主の別荘として、また、火災時の避難場所として使われていました。

前田家の本郷の藩邸は、最初は下屋敷でしたが、大火などを経て天和3(1683)年から上屋敷となりました。その敷地は約10万4千坪、東京ドーム7.3個分にも及びました。これは、御三家の屋敷よりも広かったんですよ。

また、下屋敷の広さはさらに半端ではありませんでした。板橋付近に造られた下屋敷の広さは約21万8千坪もあり、江戸の大名屋敷で最大だったのです。しかも加賀藩の誇る名園、金沢の兼六園の約7倍もの広さだったというのですから、もうとにかく広い、入口がどこかもわからないといった風情だったようですよ。庭で鷹狩りができたというほどですから、とんでもない広さですよね。幕末に会津藩の面々が訪れた時には、「桃源郷だ!」と驚くほど絢爛豪華な庭園だったそうです。

三四郎池は「鼻毛の殿様」がつくった!?

「紅葉の美しさも有名な三四郎池」

「紅葉の美しさも有名な三四郎池」

というわけで、東大の本郷キャンパスはほとんどが前田家の上屋敷でした。そこにあるのが夏目漱石の「三四郎」に登場した三四郎池ですが、これは第2代藩主・前田利常(鼻毛エピソードで有名な殿様です)がつくったもので、「心」の字をかたどっていたことから、当時は心字池と呼ばれていたのです。池自体は寛永15(1638)年につくられたそうなので、実に長い歴史のある池なんですね。
前田利常像

前田利常像

幕府からの警戒を避けるために、わざと鼻毛を伸ばして暗愚を装った逸話が。
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