戦国武将たちも好んで食べた、お茶漬けの原型「湯漬け」
2018年5月17日 更新

戦国武将たちも好んで食べた、お茶漬けの原型「湯漬け」

ご飯に湯をかける「湯漬け」は、手早く食べられることもあり、戦国武将に好まれていました。大河ドラマ『真田丸』で、北条氏政の汁かけ飯のシーンを覚えている方も多いのではないでしょうか。今回は、武将も好んで食べた「湯漬け」にまつわるエピソードと、その後お茶漬けがどのように誕生したのかをご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

織田信長も食べていた「湯漬け」とは?

香の物や焼き味噌を添えて出すこともあった湯漬け。

香の物や焼き味噌を添えて出すこともあった湯漬け。

ご飯にお茶をかけるのがお茶漬けなら、お湯をかけるのが湯漬けです。
昔はご飯の保温ができず、冷めると硬くなってしまいました。冷や飯をおいしく味わうための手段が、お湯をかけることだったんですね。

公家や武家問わず公式の場でも供され、食べるための礼儀作法もあったとか。
特に冬場は常食にする武家も多く、室町幕府8代将軍の足利義政は、昆布や椎茸で出汁を取った湯を水で洗った飯にかける、今でいう出汁茶漬けのようなものを好んでいたようです。

織田信長

織田信長

織田信長も手早く食べられる湯漬けを好み、桶狭間の戦いに出陣する前に湯漬けをかきこんでから出発したといわれています。

2度かけ禁止!?父を嘆かせた北条氏政

北条氏政

北条氏政

北条五代のうち四代目にあたる氏政。
大河ドラマ『真田丸』の影響で、「湯漬け」といえば北条氏政を思い出す人も多いのではないでしょうか。

湯ではなく出汁をかけていたようなんですが、氏政が父・氏康と食べていた時、汁が足りずに氏政が2回目の汁をかけると、氏康は「毎日食事をしているのに、汁の量もはかれぬとは!」と嘆いたという話があります。

つまり、汁の量もはかれずに国や家臣を取り回すことなどできまい・・・という意味なのでした。
結果的に北条氏は氏政・氏直父子の代で滅亡することとなってしまいましたが、遠因を感じさせる?エピソードです。

小田原城では現代のお茶漬けがいただける?

小田原戦国武将茶漬け丼。おにぎりが北条氏の家紋「三つ鱗...

小田原戦国武将茶漬け丼。おにぎりが北条氏の家紋「三つ鱗」風に配置されているのがポイント。

via 写真提供:一般財団法人 小田原市事業協会
北条氏の居城だった小田原城。その城内にある「御食事処 本丸茶屋」では現代の湯漬けならぬお茶漬けが食べられるお店があるんです。
「小田原戦国武将茶漬け丼」は小田原のお米で炊いた茶飯の焼きおにぎりに、鰹節と昆布でとった出汁をかけたもの。たっぷりの薬味と梅干しのおかげでさっぱりといただけます。

お茶漬けが始まったのは江戸時代から

現代のお茶漬け

現代のお茶漬け

湯漬けが主流だった頃、高級品だったお茶は庶民には手の届かないものでした。
お茶がポピュラーになったのは江戸時代のことで、番茶や煎茶が普及すると、お茶漬けが登場するようになったのです。
朝にご飯を炊き、夜にはお茶を冷や飯にかけて食べるスタイルが確立。「茶漬屋」も出現し、庶民に親しまれるようになりました。
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