江ノ島が発祥!北条の「三つ鱗紋」は龍の守り神【家紋のルーツ:第8回】
2018年12月6日 更新

江ノ島が発祥!北条の「三つ鱗紋」は龍の守り神【家紋のルーツ:第8回】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する連載。今回は「三つ鱗紋」をご紹介します。2019年は、関東の戦国時代を駆け抜けた北条早雲の没後500年の節目の年に当たります。そこで北条氏が用いた三つ鱗(うろこ)紋のルーツを辿ってみましょう。

髙澤等髙澤等

北条の三つ鱗紋

鱗紋は3つの直線で構成された三角形の単純明快な紋形です。「丸」や「四角」と並んで誰でもが最初に思いつく形状ですから世界中の遺跡でも見られます。
文様としては「鋸歯文(きょしもん)」と呼ばれています。つまりはノコギリの歯ということですね。確かに鱗よりもノコギリの歯の方が似ているように思います。

それがなぜ家紋では「鱗」と呼ばれるのでしょうか。
鱗紋の歴史は鎌倉幕府初代執権北条時政の伝説から始まります。
提供:髙澤等 (26353)

執権北条氏が用いた三つ鱗紋
via 提供:髙澤等

江ノ島から生まれた鱗紋

北条時政の伝説は、有名な『太平記』に登場します。
平家や源氏の政権は短く終わりましたが、北条家の政権は長く続きました。その理由は、時政が江ノ島に参籠して子孫の繁栄を祈願したからだと書かれています。
『太平記』に見える北条氏の家紋逸話

『太平記』に見える北条氏の家紋逸話

via 提供:髙澤等
時政が江ノ島の岩屋に三週間ほど籠もって祈願すると、海中より美女が現れ、子孫繁栄を約束しました。そして美女は大蛇に姿を変えて海中へと消えてゆきました。その時に落としていった3枚の鱗を拾い、旗の紋にしたのです。
これ以降、執権北条氏は「三つ鱗紋」を家の紋としました。
江島神社(神奈川県藤沢市江の島2丁目3番8号)

江島神社(神奈川県藤沢市江の島2丁目3番8号)

via 撮影:髙澤等
撮影:髙澤等 (26359)

江島神社の御神紋は波に抱かれている三つ鱗紋。
via 撮影:髙澤等
江ノ島を訪れるならば、ぜひ島の南側にある岩屋まで足を運びましょう。
この岩屋は江島神社発祥の地と云われ、関東大震災までは一年の内の数ヶ月は岩屋の中に海水が入り込んでいたそうです。
現在は地震によって島が隆起したため、通年見学可能です。若干演出過剰と思えるところもありますが、そこはご愛敬です。
撮影:髙澤等 (26361)

江ノ島の岩屋内部から外界を見る。
via 撮影:髙澤等

伊豆北条氏

三つ鱗紋を使った北条氏は、伊豆半島がくびれた部分にある田方郡(現在の伊豆の国市)にあった「南条・北条・上条・中条」の内の北条から興った一族で、桓武平氏の一族とされています。
しかし北条氏の出自には謎の部分が多く、正確には分かっていないと云っていいでしょう。
それまで北条氏はほとんど記録として現れておらず、また時政以前に周辺の豪族と婚姻関係を結んだ形跡がほとんど無いようです。あるいは伊豆の北条に住み着いてから、あまり時が経っていなかったのかも知れません。
北条氏邸跡(静岡県伊豆の国市寺家13)

北条氏邸跡(静岡県伊豆の国市寺家13)

via 撮影:髙澤等
北条時政が居を構えた場所は、現在の伊豆の国市の狩野川の右岸にあります。そして戦国期の守山城を挟んだ東側の願成就院に北条時政の墓があります。
周辺は平安時代に源頼朝の流刑地との説がある蛭ヶ小島、鎌倉時代の執権北条氏の居館、室町時代の堀越御所、小田原北条氏の韮山城、江戸時代の代官所跡・江川邸や反射炉など時代を越えた史跡が集まっていて見所が盛りだくさんです。
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髙澤等

髙澤等

埼玉県飯能市生まれ。長年、実父の日本家紋研究会前会長の千鹿野茂とともに全国の家紋蒐集を行う。家紋の使用家や分布などを、統計を用いて研究している。現在、日本家紋研究会会長、家系研究協議会理事、歴史研究家。著書に『苗字から引く家紋の事典』(東京堂出版)、『家紋歳時記』『戦国武将 敗者の子孫たち』(ともに洋泉社)などがある。 公式

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