【教養人×天才絵師】永青文庫に「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」を見にいってきた!
2017年10月31日 更新

【教養人×天才絵師】永青文庫に「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」を見にいってきた!

戦国大名でありながら当代きっての教養人だった細川幽斎を祖とする肥後細川家。その文化財展示施設である永青文庫(文京区)で、「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」が2017年11月26日まで開催されています。襖絵を描いたのは天下人にも認められた絵師・長谷川等伯。教養人と桃山期を代表する絵師の2人にどんなつながりがあったのでしょうか?そんな思いを胸にさっそく展示を見に行ってきました!

高桐みつちよ高桐みつちよ

こんにちわ。ただのタダオキストです。

東京砂漠で心の潤い(萌え)を探しながら、日夜、社会活動に勤しんでいるライター高桐みつちよです!
普段は、歴史関連書籍の記事を書いたり、関ケ原の戦い関連イベントの脚本を書いたりしているのですが、史跡巡り好きでもあり、この度、ユカリノの公式キュレーターとなることになりました。

何を隠そう、ワタクシ、心のふるさとは肥後熊本。
好物は肥後細川家。特に忠興。つまるところ、ただのタダオキストです。

今回、タダオキストがオススメするゆかりの地は「永青文庫」!
肥後細川家の偉大なる初代、細川幽斎公ゆかりの秋季展「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」に行ってきました!

700年の伝統!「永青文庫」と肥後細川家

永青文庫

永青文庫

via 写真提供:永青文庫
永青文庫は、肥後細川家に伝わる文化財の保管や研究、展示の目的で創設され、細川家下屋敷跡地の旧細川侯爵家家政所(事務所)を改装した美術館です。
年4回、さまざまなテーマで展覧会を開催し、2017年秋季展は、肥後細川家初代・細川幽斎ゆかりのお寺である南禅寺天授庵の襖絵の他、文化人幽斎に注目した展示が行われています。

大名家の文化財を管理、展示する美術館は、尾張徳川家の徳川美術館など多くありますが、永青文庫はその中でも特徴のある美術館なのです。

そもそも、肥後細川家とは、室町幕府将軍家に連なる管領細川家の流れをくむ家柄で、室町幕府衰退とともに管領細川家が力を失っていく中、細川元常の跡を継ぎ、13代将軍足利義輝の側近となったのが細川幽斎です。
その後、織田、豊臣、徳川と天下人の間を渡り歩いて、幽斎の孫、細川忠利の代のときに熊本藩54万石の有力外様大名となります。細川家の名跡は、室町時代から現代に至るまで約700年、脈々と受け継がれてきました。

永青文庫が設立されたのは昭和25年(1950)。敗戦により華族制度が廃止され、旧華族家では財産の散逸が問題になっていました。
当時の細川家の当主は護立氏。元内閣総理大臣である細川護熙氏の祖父にあたります。
護立氏は、細川家の宝物部門を財団法人化して細川家の財産から分離。細川家の始祖細川頼有と初代幽斎にあやかって永青文庫と名付け、文化財を保護することにしたのです。

と、ここまでは旧華族の美術館ではよくある話。

「文化好き」がしっかり受け継がれた細川家

永青文庫が特殊なのは、細川家が文化好きな一族であるというところです。

実は、受け継がれたのは名跡だけはありません。
当代一の教養人とまで言われた幽斎は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで命を救われることになった古今和歌集の解釈法「古今伝授」に代表されるように、文化を愛し、文化に愛された男で、そんな幽斎の才能である「文化好き」も約400年しっかり受け継がれます。

永青文庫を設立した護立氏は、日本美術界ではその名を知らぬ者はいない篤志家の1人で、希代のコレクターと言われています。
横山大観や小林古径など日本美術院出身画家とは関わりが深く、永青文庫には彼らの作品や画家とのやり取りの手紙が多く残されています。

という前置きの下、永青文庫の今回の展示を見てみましょう!

京都南禅寺天授庵と幽斎・等伯

重要文化財 商山四皓図(部分)

重要文化財 商山四皓図(部分)

長谷川等伯筆
慶長7年(1602)
天授庵蔵
※後期展示
via 写真提供:永青文庫
今回の展示の目玉は、京都の南禅寺天授庵の長谷川等伯による障壁画「禅宗祖師図」「商山四皓図」「松鶴図」3種32面。
(前期・後期入れ替えで、これから見に行くと「商山四皓図」「松鶴図」の2種16面が鑑賞できる)

この障壁画は、湯豆腐で有名な臨済宗南禅寺派の大本山・南禅寺の塔頭・天授庵の方丈の襖絵として描かれたものです。
天授庵は、暦応3年(1340)に建立されましたが、戦国の世で荒廃してしまい、幽斎の援助で再興された細川家とゆかりの深いお寺で、件の障壁画はそのときに描かれたものとされています。

細川幽斎といえば、あらゆる文化に才覚を発揮したとされる当代一の文化人。
幽斎が再興した寺院の障壁画を長谷川等伯が描いた理由はなんだったのでしょうか?

ふたりのコラボレーションのきっかけは?

天授庵の室中と同じ配置で展示された襖絵

天授庵の室中と同じ配置で展示された襖絵

※写真は前期展示になります
via 撮影:ユカリノ編集部
今回、鑑賞にお付き合いいただいたのは、永青文庫学芸員のSさん。
せっかくなので根掘り葉掘り聞いてみました。

――幽斎と等伯は繋がりはあったのでしょうか?

S「実は、幽斎が等伯に依頼したことを示す史料は見つけられていません。この時代の絵師は依頼を受けて描くので、何かしらの依頼はあったはずなのですが、注文書のようなものは残されていないのです。ただ、天授庵は幽斎の寄進で再興されていますから、方丈の障壁画を誰に描かせるか、関与していた可能性はあります。幽斎が等伯の絵を気に入っていたのかもしれません」

――長谷川等伯の当時の評価はどうだったのでしょう?

S「当時は狩野派が大きく活躍していました。その牙城に、地方から出てきて切り込んだのが等伯です。例えば、千利休が寄進した大徳寺の金毛閣の天井と柱の装飾は等伯が描いています。天下人や有力寺院のために制作していて、かなり人気があったと思われます」

――そういえば山田芳裕作の漫画『へうげもの』にもそんな描写があったような…。ならば、幽斎が等伯を知っていた可能性が高いというわけですね。

S「幽斎と等伯を繋いだ一人が千利休ではないかと想像しています。幽斎自身の茶の湯の記録はあまり多くないのですが、細川忠興と千利休は繋がりが深く、交流がありました。文化交流の中で幽斎は等伯という才能と出会い、将来、自分の墓所となる天授庵の障壁画が描かれることにもなった。そんなストーリーだとロマンがありますよね」
幽斎のお墓もある所蔵元の京都・南禅寺天授庵

幽斎のお墓もある所蔵元の京都・南禅寺天授庵

via 写真:高桐みつちよ
長谷川等伯の障壁画を見たあとは、ぜひとも、障壁画の所蔵元である、京都の南禅寺天授庵にも足を運んでいただきたいです。幽斎によって再建され、彼のお墓もあるゆかりの深いお寺です。

現在は、枯山水の庭園と池泉回遊式の庭園のみ見学可能ですが、夏は蓮、秋には紅葉と、雅な時間を過ごすことができます。合わせて水路閣も見学できますよ!
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高桐みつちよ

高桐みつちよ

「歴史をポップに楽しみたい!」オタクカルチャーを交えて歴史コンテンツを発信する歴女ユニット「武蔵守歴女会LLP」所属。肥後細川家と石田三成をこよなく愛する歴史ライター時々マイ甲冑武者。関ケ原町を拠点とする甲冑武者団体「関ケ原組」での活動を経て、現在は甲冑劇の脚本演出を行っている。関ケ原合戦祭り『関ケ原合戦絵巻』(2014~)、関ケ原七武将物語(2015~)脚本演出。『真田幸村の系譜(河出書房新書)』執筆協力。 公式

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