【 初陣から元服まで 】家康の信頼を獲得していった井伊直政の活躍
2017年11月6日 更新

【 初陣から元服まで 】家康の信頼を獲得していった井伊直政の活躍

井伊万千代(直政)の初陣は、天正4年(1576)2月7日、武田勝頼と交戦した遠江芝原の戦いであると言われています。それから天正10年(1582)、22歳で元服し「直政」と名乗るようになるまで、直政自身にも、主君である家康にも様々な事件が起こります。直政がどのようにして家康の信頼を獲得していったのか。今回は戦国時代の流れを追いながら、直政が初陣してから元服するまでの活躍をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

井伊直政

井伊直政

彦根城博物館蔵

直政の初陣は諸説あり!?

武家にとって初めての陣となる初陣は特別なものとされていました。井伊直政(万千代)の初陣についてはいくつかの説があります。

まずは、天正4年(1576)、武田勝頼が高天神城(静岡県掛川市)に侵攻してきた際におきた「芝原の戦い」です。

この戦いで、家康が陣営で休息していたところ、夜中に敵の間者である近藤武介という者が忍び込んできたのを、直政が見つけて討ち取ったところ、家康はこれを喜んで加増したと伝えられています。加増された石高にもいくつか説があり、「井伊家伝記」では10倍の3000石、「井伊年譜」では、1万8000石が加増され、2万石になったとあります。

家康がやっとの思いで取り戻した高天神城とは

高天神城の遠景

高天神城の遠景

堅固さとは裏腹に、優美な山の形から、鶴舞城の別称を持つ。
via 写真提供:日本の城 写真集
この頃、家康は甲斐の武田氏と対立関係にあり、その主要な攻防の場となったのが高天神城でした。高天神城は、駿河が今川氏の領国であった時代、その配下の小笠原氏の居城でしたが、永禄11年(1568)に今川氏が滅亡すると、徳川方のものになります。その後、天正2年(1574)に、武田勝頼が高天神城を攻め落し、武田方の城となりました。

しかし、天正3年(1575)5月の長篠の戦いで、勝頼の勢いが弱まると、家康は高天神城奪還に乗り出します。「芝原の戦い」は、そのための戦いのひとつとされています。

家康がようやく高天神城を攻略したのが天正9年(1581)。数年をかけて周囲に城や砦を張り巡らせ、前年から兵糧攻めを開始。落城寸前に追い込まれた武田軍が打って出たところを攻め落としました。このとき直政は、忍びの者を侵入させ、井戸を破壊したと言われています。

山城初心者にもおすすめの高天神城

高天神城の地図

高天神城の地図

via 写真提供:日本の城 写真集
高天神城は山自体は小さく、城郭全体の面積も大きくありませんが、急斜面かつ、効果的に配置された曲輪によって堅固な作りとなっています。石垣はなく、多くの土塁が曲輪の周囲を取り囲み、堀切が掘られており、非常に実践的な、この時代ならではの「戦国の城」と言えるでしょう。
整備されていて登りやすいので、土の城初心者にもおすすめですよ!
本丸址の土塁もよく残っています

本丸址の土塁もよく残っています

via 写真提供:日本の城 写真集
本丸址にある石窟

本丸址にある石窟

家康の部下・大河内政局が高天神城落城時に武田勝頼に捕らえられ、この石窟に閉じ込められてしまう。その8年後、徳川家康が高天神城を奪還し、政局も解放されます。
via 写真提供:日本の城 写真集
落ちたら最後?深〜い堀切

落ちたら最後?深〜い堀切

via 写真提供:日本の城 写真集
西の丸にある高天神社

西の丸にある高天神社

via 写真提供:日本の城 写真集

直政、もうひとつの初陣は「田中城攻め」

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