「国盗り物語」は親子二代によるものだった?斎藤道三の真相
2018年6月1日 更新

「国盗り物語」は親子二代によるものだった?斎藤道三の真相

下克上を成し遂げた武将として、司馬遼太郎の小説「国盗り物語」などで活躍が知られるものの、いまだ謎の多い斎藤道三。実は彼の美濃平定は父との二代で成し遂げたものだったという説が有力になってきました。明智家も仕えたとされる道三とはどんな人物だったのか。その真相に迫るとともにゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

まだまだ謎が多い斎藤道三

斎藤道三

斎藤道三

宇喜多直家や松永久秀とともに戦国三大梟雄ともいわれる道三。
「梟雄」や「下剋上」のイメージが強い斎藤道三ですが、実は小説の影響が強いとされています。
ちなみに「マムシ」の呼び名は、坂口安吾の小説「梟雄」で登場しました。

幼少時に京都の妙覚寺で出家、後に油売りとなってその実力が認められ、土岐家の家臣・長井長弘に仕えるように。さらにその主人・土岐頼芸の守護職就任に貢献し・・・というのが通説ですが、実はこのあたりまでの経歴は父・松波庄五郎のものとされています。

道三自身は、長井氏に仕えた後「長井規秀」を名乗り、その後美濃の守護代・斎藤氏の名跡を継いで「斎藤利政」となります。
力をつけた彼はやがて主の土岐頼芸をも追放し、美濃の国主となったのでした。

長井姓の頃に道三は明智家の女性・小見の方を正室に迎えています。
彼女は明智光秀の叔母ともいわれ、この縁もあって明智家は道三に仕えるようになったようです。

道三の父・松波庄五郎とは?

京都・妙覚寺で得度したのは道三ではなく父・庄五郎だった...

京都・妙覚寺で得度したのは道三ではなく父・庄五郎だった?のちに妙覚寺は信長の宿所になります。

1960年代からの岐阜県史の編纂の過程により、斎藤道三による国盗りは、父・庄五郎と道三の親子が二代にわたって行われたのではないかということがわかってきました。

六角義賢の書状に「斎藤義龍の祖父(庄五郎)は妙覚寺の僧であり、美濃で長井氏に仕えた。義龍の父(道三)の代に惣領を討ち殺し斎藤姓を名乗った」とあったのです。

となれば、長井氏に仕えて長井姓を名乗るまでは父・庄五郎の経歴であり、その後が道三の経歴とも考えられます。

美濃平定は親子で!?

織田信長

織田信長

父・信秀と道三の和睦により、帰蝶(濃姫)と政略結婚した信長。
長井長弘は土岐頼芸と対立した勢力との内通容疑をかけられ上意討ちとなったとされていますが、これを行ったのが父・庄五郎か道三だとされています。さらに道三は長弘の子も殺害したという説があります。

天文2年(1533)、公家の日記に道三の父が死んだことが記されていることから、この辺りから道三が国盗りを受け継いだと考えられています。

天文10年(1541)、道三は頼芸の弟を毒殺して頼芸との抗争を開始し、翌年には彼を尾張に追放して事実上の国主となりました。
頼芸は織田信秀の支援を得て復帰を試みますが、稲葉山城での道三の巧みな籠城戦の前に攻めあぐね、やがて道三と信秀が和睦したことで復帰はかなわなくなります。
こうして、道三の娘・帰蝶(濃姫)が信秀の息子・信長に嫁ぐこととなったのでした。

道三の居城・稲葉山城(岐阜城)

岐阜城

岐阜城

稲葉山の歴史は古く、13世紀はじめに公家の二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりとされています。
道三が城主となったのは庄五郎が亡くなった天文2年(1533)とされ、のちに修築したのが稲葉山城です。
その後、道三の孫である龍興を信長が攻略。稲葉山城は岐阜城へと名前が変わりました。
金華山山頂からの眺めは絶景ですが、歴代城主の多くが不運の末路を辿ったことでも知られています。

息子に殺された「長良川の戦い」

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