【スケールの大きさは源氏No.1?】琉球王伝説も!全国各地に伝説を残す源為朝ゆかりの地
2017年4月4日 更新

【スケールの大きさは源氏No.1?】琉球王伝説も!全国各地に伝説を残す源為朝ゆかりの地

源義経がモンゴルに渡りチンギス・ハンになったという伝説はよく知られていますが、源氏にはもう一人、琉球に渡った伝説をもつ人物がいるのをご存知ですか?源頼朝・義経兄弟の叔父にあたる源為朝。暴れん坊として名を轟かせ、全国に伝説を残す為朝についてご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

【別府地獄(大分県)】まずは九州で大暴れ!意外なところに為朝の足跡

強弓でならした源為朝

強弓でならした源為朝

『啓蒙挿画日本外史』より
源為朝は保延5(1139)年、源為義の八男として生まれ、源頼朝・義経兄弟の叔父にあたります。身長はなんと2mを超える巨体のうえ気性が荒く、しかも剛弓を操り剛勇無双と謳われました。乱暴な性格のため父・為義は困り果て、僻地の九州に追放。しかし九州でも手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して「鎮西八郎」を名乗るようになりました。

九州各地には為朝ゆかりの地は多数ありますが、例えば観光地として有名な別府地獄もそのひとつ。当時「生地の玄番(げんば)」という温泉好きの豪族がいました。彼は杖代わりに鉄棒を持ち歩いているのがトレードマーク。しかし、大好きな温泉に入っている間に、通りがかった為朝がいたずらをし、生地の玄番の鉄棒を地中に埋めてしまいます。
温泉から出た生地の玄番が怒ったのは言うまでもありません。こみあげる怒りで勢いよく鉄棒を引き抜いたところ、温泉が噴き出したという伝説です。「鉄輪(かんなわ)」という地名に名残が残っています。
別府地獄のひとつ白池地獄

別府地獄のひとつ白池地獄

日本を揺るがした保元の乱でも大暴れ!

『保元・平治合戦図屏風』(神泉苑蔵)

『保元・平治合戦図屏風』(神泉苑蔵)

保元元(1156)年、鳥羽法皇が崩御すると、崇徳上皇と後白河天皇の衝突が避けられず、保元の乱が起こりました。双方が名だたる武士を呼び寄せる中、為朝の父・為義は上皇方の大将として招かれます。父に従い為朝も上皇方につきました。

一方、為義の嫡男の義朝(頼朝・義経兄弟の父)は、東国武士と共に天皇方につきます。為朝はここでも大暴れをし、天皇方の兄・義朝や平清盛をずいぶんと苦しめました。戦いの勝敗は結局、天皇方の勝利となり、為義は降伏。しかし息子である義朝に処刑されてしまいます。為朝は逃亡を続けたものの、近江で病を患い湯治しているところを捕らえられてしまいました。

為朝の武勇は広く知られていたため、京へ護送された際にはたくさんの見物人が集まるなか、天皇まで見に来たそうです。

【伊豆大島(東京都)】島流し先でも大暴れ!

伊豆大島

伊豆大島

東京から約120km離れています
さすがの為朝もここまでかと思われましたが、武勇を惜しまれ伊豆大島への流刑となりました。為朝への恐れか、自慢の弓を射ることができないように、肘を外されたそうです。

しかしこれで終わらないのが為朝。肘の傷が癒えてくると今度は伊豆大島で暴れ始めます。今度は伊豆諸島を従え、年貢の支払いを拒絶するようになります。

嘉応2(1170)年、為朝討伐の院宣が下り、大軍が伊豆大島に攻めてきます。300人程が乗る軍船を強弓で沈めるものの、観念して自害。享年32歳とは思えないほどに大暴れの人生でした。
大島では今でも為朝が親しまれ、為朝の館跡も残っています。島の女性と結婚して移住してきた本土出身の男性を、「ためともさん」と呼ぶ習慣が残っています。

【沖縄県】遠路乗り越え琉球王伝説へ!

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