戦場で食べれば戦闘能力アップ!?加藤清正と陣中の馬肉鍋【偉人が愛した肉料理:第4回】
2018年7月29日 更新

戦場で食べれば戦闘能力アップ!?加藤清正と陣中の馬肉鍋【偉人が愛した肉料理:第4回】

毎月29日の「肉の日」にちなみ、食文化史研究家の永山久夫さんが偉人が愛した肉料理を紹介する連載。第4回は加藤清正が広めたといわれる『馬肉』です。戦国時代、戦場でも食べられたという馬肉。今も熊本名物として愛される馬肉料理とその栄養についてご紹介します。

永山久夫永山久夫

鬼将軍と恐れられた清正公

「馬肉は、加藤清正公(1562~1611)の頃から食べてきた、熊本の名物料理なんですよ。」
土地のご年輩の方が自慢するように、その歴史は古い。

豊臣秀吉(1537~1598)の天下取りを強力に支えた清正は、戦国時代後期の武将で、身長は六尺(約180センチ)以上あったというから迫力が違う。
顔面に黒々とした髭を生やし、その眼光でにらまれると、生きた心地もしなかったという。敵からは「鬼将軍」と恐れられたが、家臣や領民には慈父のように心優しかったそうだ。
加藤清正

加藤清正

清正は、普段は玄米飯を主とした粗食であり、家臣にも「食は玄米たるべし」とすすめている。
合戦場では兵糧不足はよく起こることで、普段から飢えに対する心構えを持っていないと生き残れない。

兵糧米が切れると、野草や野獣など、入手可能なもので腹を満たして戦った。
なかでも喜ばれたのが、味の良い馬肉。
上杉氏に関する軍学書である『北越軍談』にも、糧穀尽きたる時には「牛一匹を屠りて一日五千人の食とす。馬一匹もこれに同じ」とある。歴戦の将である清正も、兵糧不足になった時に、体力をつけるために馬肉を食べたのではないだろうか。

ああ、馬刺し美味なり!

写真:熊本市観光ガイド (22612)

via 写真:熊本市観光ガイド
合戦場にはたくさんの軍馬が入り込んでいたが、流れ弾などで事故死する馬もたくさんあり、これを非常食として食料とした。
大鍋で煮込む場合が多かったが、戦場の馬は鮮度も良かったので、刺身で舌鼓を打つ武将もいただろう。

江戸時代になり、平和が続いてグルメになると、イノシシなどの肉料理を提供する“ももんじ屋”が出現し、馬肉も好まれるようになる。馬肉料理の店が特に多かったのは、江戸の場合、遊郭のあった𠮷原近辺。安価でスタミナがつくところから、男たちに人気があった。
なかには、馬で𠮷原に乗り込んだ旗本が、遊ぶ金に不足して、馬肉屋に馬を売ったなどというエピソードまで残っている。

馬肉にはアミノ酸バランスの良いタンパク質に加えて、ビタミンB類やアルギニン、亜鉛が多く、スタミナ強化に役立つ。武将たちが好んで食べていたのも、戦闘能力がパワーアップする効果を知っていたからではないだろうか。

戦国の合戦場をイメージしながら、豪快にほおばってみよう。
霜降りの馬刺しをショウガ醤油で食べたら、病みつきになること受けあいなり!
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永山久夫

永山久夫

食文化史研究家。食文化史研究所、綜合長寿食研究所所長。元西武文理大学客員教授。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や伝統的な和食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年研究している。著書に『永山豆腐店 豆腐をどーぞ』『和食の起源』『日本人は何を食べてきたのか』『100歳食入門』『長寿食365日』『なぜ和食は世界一なのか』など多数。 公式

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