「麒麟がくる」までに知っておきたい!意外と知らない京都・本能寺の歴史
2018年6月2日 更新

「麒麟がくる」までに知っておきたい!意外と知らない京都・本能寺の歴史

京都府京都市にある本能寺。天正10年(1582)6月2日、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の舞台として知られています。明智光秀を主人公にした2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が決まり、改めて注目が集まる本能寺の、現在の場所と当時の跡地を歴史とともに辿ってみました。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

織田信長最期の地となった本能寺

錦絵 本能寺焼討之図(名古屋市所蔵)

錦絵 本能寺焼討之図(名古屋市所蔵)

天正10年(1582)6月2日、織田信長が家臣・明智光秀に襲撃されたことで知られる「本能寺の変」。
今も謀反の理由についてははっきりしておらず、その謎が余計に人々の興味を引いています。
2020年の大河ドラマが光秀を主人公とした『麒麟がくる』に決定し、改めてその謎に注目が集まるなか、今回はその舞台となった本能寺に注目してみました。

「能」の字が違う?現在の本能寺

法華宗本門流の大本山である本能寺(京都市中京区)。
1415~1432年までは「本応寺」という寺号で、1433年から「本能寺」と改めたようです。
信長は「本能寺の変」の時だけでなく、記録に残っているだけで合計4回滞在したとみられています。

その本能寺を訪れてみると、ちょっとした違和感を感じるはず。
河原町通に面する裏門の「本能寺」の表記に注目

河原町通に面する裏門の「本能寺」の表記に注目

よく見ると「能」じゃない。
via 撮影:ユカリノ編集部
よく見ると私たちが知っている「能」の字じゃないのですね。

この本能寺、何度も再建復興を繰り返してきました。
公式サイトによると、1582年「本能寺の変」の時点ですでに第4の建立。秀吉により現在の場所に移転されますが、1788年の天明大火や1840年の蛤御門の変など数回にわたり焼失・・・。

五度も火災に遭遇した本能寺は「匕(火)」を嫌い、「能」の字を替えたのだとか。
今では使われていない字ですが、当時は広く使われていたようです。
現在の本能寺本堂は1928年(昭和3年)に建てられたもの

現在の本能寺本堂は1928年(昭和3年)に建てられたもの

via 撮影:ユカリノ編集部
現在の本能寺にある信長公廟

現在の本能寺にある信長公廟

via 撮影:ユカリノ編集部
信長の命日である6月2日の「信長公忌」には、毎年全国各地から歴史ファンが集結。
昨年は薩摩琵琶演奏者による演奏や、墨絵師 御歌頭(OKAZU)さんによるライブペインティングなども行われ盛り上がりをみせました。

また、近年は『本能寺でごめんなさい プロジェクト』といったユニークな企画も同時開催しています。
過去の「ごめんなさい」を募集し、「裏切りの日」と言われている6月2日の法要時にお炊き上げの供養をしてくれるのだそうです(笑)

「本能寺の変」当時の場所は?

前述の通り、天正19年(1591)に現在の場所(中京区下本能寺前町)へ移転した本能寺。
では「本能寺の変」当時はどこにあったのか、気になりますよね。

当時の場所は中京区元本能寺南町付近とされ、発掘調査でも当時のものとみられる焼け瓦や土器、堀の遺構などが見つかっています。
本能寺址の石碑

本能寺址の石碑

「本能寺の変」当時の所在地とされる中京区元本能寺南町に石碑があります。
via 撮影:ユカリノ編集部
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