今も都心に残る江戸城の遺構
室町時代に太田道灌によって築城され、関東地方に入った徳川家康が大幅に拡張。以降、江戸幕府の居城として百万人を超える世界最大規模の都市の中心であった江戸城。幕末維新の際には、勝海舟と西郷隆盛の話し合いにより、無事「無血」で開城されることとなりました。
江戸城跡には今も、巨大な石を用いた石垣や大規模な土塁、水濠に加え、意外と多くの建築物も残っています。都心にありながら江戸時代の城の名残を楽しむことができるので、東京近郊にお住いの方なら行かない手はありません。
それでは、江戸城にいざ出陣!
江戸城跡には今も、巨大な石を用いた石垣や大規模な土塁、水濠に加え、意外と多くの建築物も残っています。都心にありながら江戸時代の城の名残を楽しむことができるので、東京近郊にお住いの方なら行かない手はありません。
それでは、江戸城にいざ出陣!
まずは桜田門から江戸城の中心部へ
広大な面積を持つ江戸城。周辺にはいくつもの駅がありますが、今回は有楽町線の桜田門駅から、東西線の竹橋駅へ抜けるコースをご案内します。
江戸城中心部の最南部にあたる桜田門から北へ向かい、大手門や天守台を目指します。
江戸城中心部の最南部にあたる桜田門から北へ向かい、大手門や天守台を目指します。
撮影ポイント1:テレビなどでよく見る二重橋
桜田門を入り少し北に進むと二重橋が見えてきます。
二重橋とは、手前に正門石橋、奥に正門鉄橋と橋が二つ重なって架かっている意味で呼ばれる事が多いようです。しかし、本来は奥の正門鉄橋のことで、かつては橋げたが二重構造であったことに由来します。
二重橋とは、手前に正門石橋、奥に正門鉄橋と橋が二つ重なって架かっている意味で呼ばれる事が多いようです。しかし、本来は奥の正門鉄橋のことで、かつては橋げたが二重構造であったことに由来します。
水濠に沿って歩く
二重橋からさらに北へ進みます。このあたりの防御は、最上部に石垣を備えた土塁と水濠で固められており、中心部が総石垣の大坂城などと比べると違いが見てとれます。
やがて坂下門、次いで桔梗門が見えてきます。
やがて坂下門、次いで桔梗門が見えてきます。