あの「西郷どん」も認めた!福井が生んだ天才・橋本左内の有能ぶり
2018年9月12日 更新

あの「西郷どん」も認めた!福井が生んだ天才・橋本左内の有能ぶり

西郷隆盛より6歳も年下でありながら「先輩としては藤田東湖に服し、同輩としては橋本左内を推す」といわしめた若者、それが橋本左内です。左内は24歳という若さで、幕末の四賢候と讃えられる福井藩主・松平春嶽の側近に抜擢され、国事に奔走しました。彼の功績と活躍の舞台となったゆかりの地をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

15歳の少年が書いたとは思えない、驚きの「啓発録」

天保5(1834)年、橋本左内は福井藩医・橋本長綱の長男として生まれました。15歳の時に学問の道を志した左内は、これまでの生き方を振り返りながら将来の指針を記す「啓発録」をしたためます。この時、掲げた五箇条がこちら。
一、稚心(幼い心)を去る 二、気を振るう 三、志を立てる 四、学に勉む 五、交友を選ぶ
via 「啓発録」
つまり、13,4歳にもなって子供っぽさが残っているようでは何事も上達せず、天下の豪傑になることはできない、負けん気を持ち侮辱されることを無念に思う意地を持つ、志のない者は魂のない虫と同じ、勉学に勤しむ、よい友達を選ぶ、ということを自分に戒めているのです。
橋本左内肖像画(島田墨仙作)

橋本左内肖像画(島田墨仙作)

そして後書きに「この五箇条は少年が学問を修めるのに確立すべき所であり、後日の遺忘に備えて書き記す」と記しました。

左内が残した「啓発録」は、今も福井県内の中学校で「立志式」として受け継がれています。

大坂の「適塾」で緒方洪庵に師事

福井藩の医学校で漢方医学を学んだ左内は、15歳の時に大阪の適塾に入学、緒方洪庵の元で西洋医学や蘭学を学びます。

この頃の左内は、常々「医者には小医、中医、大医とある。小医は病気を治し、中医はそれを教える。しかし大医は天下国家を治す」とつぶやいていたといわれています。

そして緒方洪庵も左内のことを「彼は他日わが塾名を揚げん、池中の蛟竜(こうりゅう)である」と評しました。

これは「三国志」の中の故事「蛟竜雲雨(こうりゅううんう)」からの引用ですが、「池の中の蛟(みずち)や龍は、いったん雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り、いつまでも池の中にとどまっているものではない」という意味になります。

それほどまでに洪庵は、左内の才能を高く評価していました。
適塾・内部

適塾・内部

via naoko

江戸での志士達との交流、その華やかすぎる人脈

ペリーの黒船来航の翌年の嘉永6(1854)年、藩より江戸遊学が認められた左内は、蘭学や漢学を学びながら、西欧の書物も次々と読破、世界への視野をさらに広げます。

そして黒船来航により緊迫する情勢の中、藤田東湖、横井小楠、西郷隆盛といった当代随一の人物達とも交流を深めます。

水戸藩主徳川斉彬の側近、藤田東湖は「貴藩には橋本左内という者がいるではないか、年は若いが学問・見識とも誠に立派な人物である」と言い、薩摩藩の西郷隆盛は「先輩としては藤田東湖に服し、同輩としては橋本左内を推す」「この二人の才学器識には、とても及ぶことができないし、まねもできない」と評しました。

福井藩主・松平春嶽公の側近に

松平春嶽

松平春嶽

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