「日本男色史巡り 最終回:戦国三大美少年」名古屋山三郎、不破万作、浅香庄次郎…武将たちが愛した少年の末路
2018年3月30日 更新

「日本男色史巡り 最終回:戦国三大美少年」名古屋山三郎、不破万作、浅香庄次郎…武将たちが愛した少年の末路

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載「日本男色史巡り」。最終回は「戦国三大美少年」。戦国末期、名古屋山三郎、不破万作、そして浅香庄次郎ら3人の少年たちは美貌と武勇でその名をとどろかせました。しかし人生のすべてがバラ色だったわけではなく…天下の諸侯を魅了した彼らを待ち受けていた運命とは!?

黒澤はゆま黒澤はゆま

有力武将に仕えた戦国三大美少年

名古屋山三郎を描いた浮世絵

名古屋山三郎を描いた浮世絵

肖像画などが残っていないことも、想像を掻き立てます。
ご愛顧いただいた「日本男色史巡り」も今回が最終回。
ラストはパッと華やかに戦国三大美少年を取り上げたいと思います。

戦国時代の名数は、メンバーが本によってばらばらの武田二十四将とか、何故か5人も6人もいる最上四天王、龍造寺四天王など、いい加減なものが多いのですが、三大美少年は名古屋山三郎、不破万作、浅香庄次郎のきっちり3人、メンバーも固定です。

詳細不明の浅香庄次郎含め、おそらく皆尾張出身。

出生年は、名古屋山三郎が天正4年(1576)、不破万作は天正6年(1578)、これまた記録が残ってない浅香庄次郎も多分そのくらいと、戦国武将としては遅咲きでした。

しかし、天下人秀吉を生んだ尾張という土地が、少年達の立身を後押しします。

名古屋山三郎は蒲生氏郷、不破万作は豊臣秀次、浅香庄次郎は石田三成と、豊臣系の有力な大名に仕え、主家の栄達に伴って、彼らの美貌と武勇もまた天下に響きわたりました。

しかし、天下の諸侯の心を蕩かした美少年たちの人生も、決して何もかもバラ色だったわけではなく、その行く手には大きな悲劇が待ち受けていたのです。

出雲の阿国の夫だった!?名古屋山三郎

出雲の阿国像(京都府京都市)

出雲の阿国像(京都府京都市)

四条大橋のたもとにある出雲の阿国像。茶屋遊びに興じる男を、女性が演じるという、倒錯的かつエロティックな「かぶき踊り」で一世を風靡しました。阿国のはじめた「かぶき踊り」が歌舞伎の元祖であると考えられています。
via 筆者撮影
トップバッターの名古屋山三郎は、3人のなかで最も著名で、様々な伝説の主人公になっています。
なかでも有名なのが、歌舞伎の創始者、出雲阿国の夫だったというもので、守貞謾稿には、
出雲巫女に佐渡島お国といふ者、名古屋山三郎といふ者と通じ、国を奔りて隣国雑劇す
via 『守貞謾稿』(喜田川守貞著、岩波文庫)
とあり、江戸時代を通じて、彼は阿国とともに歌舞伎の創始者と考えられていたようです。
もちろん、これは多分「お話」ですが、京都の高徳院には、出雲阿国とともに名古屋山三郎のお墓があります。
大徳寺 高桐院(京都府京都市)

大徳寺 高桐院(京都府京都市)

出雲の阿国の墓とともに名古屋山三郎の墓もあるといわれる高桐院。残念ながら現在補修工事のため拝観できず(補修工事は2019年3月末日完了予定)。また、名古屋山三郎の墓も通常公開していないそう。
via 筆者撮影

蒲生氏郷「美少女発見!」

蒲生氏郷

蒲生氏郷

軍事的才腕と快活な人柄で、信長・秀吉から愛された戦国武将。会津に移封された後は、東北の暴れん坊・伊達政宗の火遊びに苦しめられ、美少年を刺客として送られたこともあります。
さて、この名古屋山三郎、抜群の美貌の持ち主で、『氏郷記』には建仁寺で母と暮らしていた山三郎を、蒲生氏郷が美少女と勘違いし、嫁に取ろうとしたという逸話が記されています。

結局、実は男だったということが判明し、氏郷は嫁でなく家臣として取り立てることにしたのですが、この山三郎、花のような外見に似合わず(いや似合って?)、とにかく勇敢なことが大好きという少年でした。当代きっての猛将、氏郷の薫陶もあり、戦争大好きの立派な荒武者に育ちます。

彼の武名が天下に知れ渡ったのは、天正18年(1590)に起きた葛西大崎一揆の陸奥名生城攻め。
彼はまだ15のしなやかな肢体に猩々緋の羽織をまとい、手槍を引っ提げて一揆勢の立て籠もる名生城に真っ先かけて突っ込み、一番首をあげました。

この活躍は大変な評判になり、「鑓仕、鑓仕は多けれど、那古野山三は一の鑓」と、日本全国で歌われる小唄になったといいます。

淀殿とも関係があった!?

淀殿

淀殿

ちなみに淀殿と山三郎は、又従姉の関係だったりします。
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黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

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