"軍師官兵衛"は歌の才能も凄かった!福岡市博物館で「黒田如水の文芸」展が開催
2018年3月5日 更新

"軍師官兵衛"は歌の才能も凄かった!福岡市博物館で「黒田如水の文芸」展が開催

福岡市美術館と福岡市博物館がそれぞれ所蔵する福岡藩主ゆかりの「黒田資料」を展示するシリーズ第7回目、今回のテーマは「黒田如水の文芸」です。若き日に歌道を志した黒田官兵衛こと如水。彼の詠んだ作品だけでなく、当時の和歌・連歌の世界における位置付けにも注目した企画展が福岡市博物館で3月6日~4月30日開催。その見どころを一部ご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

若い頃は和歌の道を志していた黒田如水

「黒田如水像」(部分)

「黒田如水像」(部分)

(福岡市博物館所蔵)
via 提供:福岡市博物館
福岡市美術館と福岡市博物館がそれぞれ所蔵する福岡藩主ゆかりの「黒田資料」を展示するシリーズ第7回目、今回のテーマは「黒田如水の文芸」です。
豊臣秀吉の参謀として活躍した、福岡藩祖・黒田官兵衛こと如水(本展ではすべて「如水」で統一)。
平成26(2014)年、NHK大河ドラマ特別展として開催した『軍師・官兵衛展』でも「文雅のたしなみ」と題した一章を設け、黒田如水が武辺一辺倒ではなく、文事にも秀でた人物であったことが紹介されました。
黒田家の菩提寺・崇福寺にある如水の墓には、彼の経歴が詳しく刻まれています。その中には17、18歳頃のこととして
専愛和歌之道、上自三代集、下至八代集、此外更及源氏物語、伊勢物語、諸家歌集等、有欲通習之志
とあります。要約すると、若い頃如水が和歌の道を愛し、勅撰和歌集を学び、さらに源氏物語などの古典をも学んでいこうという志があったという内容です。
しかし当時は戦乱の世。圓満坊という僧に諭され、和歌の道を諦めたと墓碑の記述は続いています。

また、黒田家の歴史書「黒田家譜」にも、若き如水が風雅の道に心を寄せていたことが書かれており、当代随一の文化人・細川幽斎(藤孝)から「新古今集聞書」を贈られたこと、晩年には連歌の神として崇敬を集めた天神を祀る太宰府天満宮で連歌興行を行ったことなども記されています。
如水が文雅の道にも通じていた人物として知られていたことが分かりますね。

晩年は文芸三昧!元ネタが幽斎からという歌も

中津の領主だった如水が、嫡男・長政に家督を譲るのは天正17年(1589)の44歳のとき。しかしその後も小田原攻めや朝鮮出兵など、忙しい日々を過ごしています。

そんな如水の文芸活動が目立ってくるのは、慶長3年(1598)、53歳以降。特に上方などで連歌会に参加していることが、各地に残る資料から明らかになっています。
如水は主に京都において、桃山時代の連歌の第一人者・里村紹巴や、寛永の三筆の一人・近衛信尹ら公家衆と交流。連歌の腕を磨いていました。
ちなみに近衛信尹は、黒田家が筑前国の領主になった際、連歌の神にゆかりがある地を領したことを祝福する書状を如水に書いています。
「如水公夢想連歌」(福岡市博物館所蔵)

「如水公夢想連歌」(福岡市博物館所蔵)

via 提供:福岡市博物館
如水が残した連歌のなかには、「本歌取り」といわれる技法も見られます。
これは、昔の優れた歌から語句や・発想・趣向を引用して複雑な内容を表現し、余情や余韻を残す技法です。

例えば、「福岡」という地名が初めて使われたとされる慶長7年(1602年)1月16日付で書かれた「如水公夢想連歌」。この中の「松・梅や 末長かれと緑立つ 山より続く里は福岡」という歌ですが、実はこれに少し似た歌が存在しています。

それは「浪荒き 潮干の松の桂潟 島より続く海の中道」という歌。
これは細川幽斎が「九州道之記」という紀行文の中で志賀海神社(福岡市東区)に伝わっていた歌として紹介しているものです。

比べてみると、下の句にある「山より続く」と「島より続く」が対をなしていることが分かります。如水の詠んだ歌が、実は幽斎が紹介している歌を参考にしていた、と考えるとちょっとおもしろいですよね。

本展ではこの「如水公夢想連歌」や「黒田如水辞世和歌短冊」のほか、細川幽斎による「六家抄」「新古今集聞書」(ともに福岡市美術館蔵/重要美術品)といった作品も展示します。
如水の作品はもちろん、その背景にも注目する黒田資料名品展VII『黒田如水の文芸』。ぜひご覧ください。

福岡市博物館 黒田資料名品展VII『黒田如水の文芸』

開催期間:3月6日(火)~4月30日(月・祝)
会場:福岡市博物館 企画展示室企画2
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