【馬刺しの産みの親!?】加藤清正が日本に持ち込んだゆかりの食べ物
2017年8月2日 更新

【馬刺しの産みの親!?】加藤清正が日本に持ち込んだゆかりの食べ物

豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍、熊本城の築城、関ヶ原後は肥後熊本藩の初代藩主と、様々な顔をもつ加藤清正。朝鮮出兵時に清正が持ち込んだ食べ物は、今でも地元の名産として親しまれています。1611(慶長16)年8月2日は清正の命日にちなみ、清正ゆかりの食べ物をご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

清正が朝鮮出兵で持ち帰ったものとは?

加藤清正像

加藤清正像

via 京都市勧持院
1562(永禄5)年、現在の愛知県西半部に位置する尾張に生まれた清正。豊臣秀吉とは血縁関係にあり、9歳の頃から秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは功名をあげた一人として七本槍の一人に数えられました。

その後は、小牧・長久手の戦い、四国平定、九州平定と、各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となり、隈本城に大規模な改修を加えて熊本城とします。

秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍について活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて肥後熊本の初代藩主になりました。

1611(慶長16)年8月2日は清正の命日にちなみ、今回は清正ゆかりの食べ物をご紹介します。
熊本城

熊本城

ニンジンだと思ったらセロリだった?

食用に改良を重ねたられた現在のセロリ

食用に改良を重ねたられた現在のセロリ

セロリは朝鮮出兵時に、清正が初めて日本に持ち帰ったと言われています。
現地で清正は「これは人参だ」とだまされて持ち帰ったとも言われており、当時は「清正人参」と呼ばれたそうです。

セロリはもともと、ヨーロッパ・中近東の冷涼な高地の湿原が原産といわれ、古代ギリシャやローマでは食用ではなく、整腸剤や強壮剤、香料として利用されていました。

食用となったのは17世紀のヨーロッパ。1623年にフランスで、薬草であったセロリを野菜として初めて利用したとの記録があり、18世紀にはイギリスで改良が進み、大々的に作られる様になりました。
その後、19世紀にアメリカに伝わり、品種改良がおこなれました。現在の実が膨れた、葉の長いセロリはこの時の過程で生まれたものです。

日本の場合も同じく、清正が持ち帰ったセロリは、味と香りが独特なためかなかなか普及しなかったようです。
その後、1800年頃にオランダ貿易のによりセロリは入荷しますが、また普及せず、戦後になってやっと普及することになります。
いまでも、セロリは苦手という苦手という人も多いですが、香りになれればサクっとした食感がクセになります。

馬肉ブームのきっかけを作ったのも清正?

いまも熊本県民に愛される馬刺し

いまも熊本県民に愛される馬刺し

馬肉が食べられるようになったのも、加藤清正が朝鮮出兵時に食糧難に陥った際に、馬肉を食したのが通説とされています。帰国後も好んで馬刺しを食べたことから、領地である熊本に広まり、馬肉文化が花開くきっかけとなったそうです。

馬肉には解熱作用があるとされ、患部に張る事で治療薬としても活躍。抗生剤がなかった当時は、生きていく上で欠かせないものとして、馬肉を食する文化が根付いていったとも言われています。

現在も、国内における馬肉の生産量1位は熊本で、2位以下を圧倒的な差で引き離しています。馬刺しだけでなく、馬肉全体が愛好され、生産量だけでなく消費量も相当のようで、まさに「地産地消」のお手本と言えます。

清正が持っていったことで広まった朝鮮飴

飴というより餅のような食感の朝鮮飴

飴というより餅のような食感の朝鮮飴

清正が朝鮮出兵から持って帰ってきただけでなく、日本から持ち込んだことで有名になったお菓子もあります。

それは長生飴という、16世紀に園田武衛門によって作られた、もち米や水あめ・砂糖などを原料としたものです。清正が非常食として常備したところ、籠城中の兵糧としてかなり役立ったことから、「朝鮮飴」と呼ばれるようになりました。

「朝鮮飴」は、老舗の園田屋をはじめ、熊本の銘菓としていまでも親しまれています。

後世に伝わる清正の偉業

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