【秀吉の天下統一最後の相手・九戸政実】ゆかりの地で「九戸城まつり」開催
2018年9月20日 更新

【秀吉の天下統一最後の相手・九戸政実】ゆかりの地で「九戸城まつり」開催

豊臣秀吉の天下統一は、小田原征伐や奥州仕置で完了したわけではなかったのをご存知でしょうか。最後まで秀吉に抵抗した武将が、陸奥・九戸城主の九戸政実(くのへ まさざね)でした。誇り高き武将・九戸政実の生涯と「九戸政実の乱」の経緯、岩手にあるゆかりの地をご紹介しましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

写真提供:九戸政実プロジェクト突撃隊 (24301)

via 写真提供:九戸政実プロジェクト突撃隊

岩手ゆかりの戦国武将・九戸政実

天文5(1536)年、岩手県九戸村で生まれたとされる九戸政実。
政実は一族として、南部氏第24代当主・南部晴政の勢力拡大を助けていました。しかし、晴政には養嗣子・信直がいたにもかかわらず、実子の晴継が生まれたため、晴政と信直の関係は悪化。お家騒動の様相を呈してきたのです。
そして晴政が亡くなると、晴継派と信直派に分かれた家臣団が争うようになりました。
南部信直像(盛岡市中央公民館蔵)

南部信直像(盛岡市中央公民館蔵)

南部家中興の祖といわれる南部氏第26代当主・南部信直。
政実は晴継を支持しましたが、晴政の葬儀の帰りに晴継も暗殺され、さらに問題がこじれてしまいます。晴政の娘を妻にしていた自分の弟・実親にも後継者の権利があると政実は主張しますが、家臣団による会議で当主は信直に。晴継暗殺疑惑もある信直が当主になったことに不満を抱いた政実は、やがて「自分こそが南部当主である」と自称するようになりました。

この理由には、南部氏の統治が一族の支えによる連合政権のようなものだったことがあげられます。秀吉の奥州仕置により南部氏だけが大名と認められたことで、今まで対等の立場と考えていた一族がみな家臣の扱いとなってしまったのです。その不満もあり、政実は南部氏に対して反抗したのでした。

秀吉の天下統一最後の戦い!「九戸政実の乱」

天正19(1591)年、南部信直に対して兵を挙げた政実は、次々と南部方を破り勢いに乗りました。が、信直が奥州の制圧を進めていた秀吉に助けを求めたことで状況が一変します。

秀吉は自分への反抗だと激怒し、なんと6万を超える大軍を派遣してきたのでした。蒲生氏郷や井伊直政など、歴戦の猛将たちが政実の居城・九戸城を包囲したのです。それでも政実はたった5千の兵で大軍相手に籠城戦を展開し、抵抗を続けました。

秀吉天下統一の最後の合戦場となった「九戸城跡」(岩手県二戸市)

九戸城跡

九戸城跡

政実の居城・九戸城は、三方を川と断崖に囲まれた要害でした。敷地は東京ドーム10個分もあるといいます。乱後に「福岡城」と改名されますが、人々は政実を偲び九戸城と呼び続けられました。本丸に現存する石垣は、東北最古級のもの。
via 写真提供:岩手県観光協会
なかなか降伏しない政実にしびれを切らした豊臣方は、九戸氏の菩提寺の和尚を使者として派遣し、「開城するなら女子供、兵たちの命は助ける」と和議を持ちかけます。
罠だと反対する者もいましたが、これ以上の犠牲を出さないためにと政実は応じ、降伏を選択しました。

しかしやはりこれは偽りの約束でした。開城後、豊臣方の兵は九戸城内の者たちを撫で斬りにしたのです。
政実は三ノ迫(宮城県栗原市)に本陣を構えた豊臣秀次の元に送られ、9月20日に斬首されます。享年56歳でした。
こうして九戸政実の乱は終結し、秀吉による天下統一が完了したのです。

政実公の首塚(岩手県九戸村)

政実公の首塚

政実公の首塚

via 写真提供:九戸政実プロジェクト突撃隊
九戸村には、政実の首級を密かに持ち帰った家臣が、この地に鎮めたと伝えられている首塚があります。近くには、代々九戸氏が戦勝祈願をした九戸神社や菩提寺・長興寺もあります。政実が今も慕われていることがわかりますよ。
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