人魚の肉を食べて不老不死に?悲劇の八百比丘尼伝説【偉人が愛した肉料理:第3回】
2018年6月29日 更新

人魚の肉を食べて不老不死に?悲劇の八百比丘尼伝説【偉人が愛した肉料理:第3回】

毎月29日の「肉の日」にちなみ、食文化史研究家の永山久夫さんが偉人が愛した肉料理を紹介する連載。第3回は八百比丘尼が食べたといわれる『人魚の肉』です。食べると不老不死になるという伝説がある人魚の肉の正体とは?福井県小浜市に残るゆかりの地とともに、八百比丘尼伝説をご紹介します。

永山久夫永山久夫

人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼伝説とは

人魚の肉を食べた八百比丘尼伝説に因み建てられた人魚の像

人魚の肉を食べた八百比丘尼伝説に因み建てられた人魚の像

via 写真提供:公益社団法人福井県観光連盟

不思議な肉のおみやげ

昔、若狭(福井県)の海に面した漁村に長者がいた。一人娘はまだ13歳であったが、美しさで村中の評判だった。

ある日のこと。長者は海のかなたの常世国(不老不死の国)から招かれた。船で行ってみると、宮殿があり、立派な食堂に案内された。
しかし、ひとつ気がかりなことがあった。食堂に通される時、台所でまな板の上の人間の形をした魚のようなものを料理している所を見てしまったのだ。

やがて、美しい女たちが次々と料理を運び込む。その中に例の肉料理があったが、恐ろしくて手が出ない。しかし他の料理は、この世の物とは思えぬほど美味であった。
満腹になった長者が礼を述べて船に乗ろうとすると、美女が近寄ってきて、おみやげにと言って包物を渡してくれた。長者は無事に家に戻り、例の包物を棚の上に置いて忘れてしまった。

不老不死の食だった?人魚の肉

その夜、娘が包物を見つけ開いてみると、大変に美味しそうな匂いが漂い、我慢しきれずに食べてしまった。すると、とっても良い気持ちになり、娘の肌は輝くように白く美しくなった。
その肉こそ人魚の肉であり、常世国の不老不死の食だった。

娘はますます美しくなり、隣村の長者の息子と結婚する。ふたりは仲睦まじく幸せであったが、ついに子は生まれなかった。やがて夫は老衰して世を去り、親も兄弟も皆死んでしまったが、彼女だけが若いまま。その後も再婚、再々婚をしたが、彼女は歳をとらないのに、まわりの人達だけが老衰し世を去っていった。
その不思議な肉を食べてから、もう300年は経っていた。自分の運命に苦しんだ彼女は、尼になり祈りの旅に出て、貧しい者を助け、病人がいれば救った。
そしてやがて「八百比丘尼(やおびくに)」と呼ばれるようになったのだ。
小浜市にある八百比丘尼の木像

小浜市にある八百比丘尼の木像

via 写真提供:公益社団法人福井県観光連盟

人魚の肉の正体は?

八百比丘尼が食べたといわれる人魚の肉については、ジュゴン説やオットセイ説など諸説ある。
確かに、オットセイは古来、不老食、若返りの食とされていた。戦国時代、その陰茎や睾丸は「海狗腎」と呼ばれ、徳川家康もその干肉を長寿の妙薬として食べていたそうだ。
 (21745)

長かった八百年の旅

常世の不老の肉を食べた八百比丘尼は、行く先々で椿の苗を植え、自分が生きた証を残した。
彼女は、椿の花が好きだったのである。
しかし八百年も歩き続け疲れ果てていた。
やがて、若狭国へ帰り、小浜市の空印寺の背後にある洞穴にこもり、静かに生涯を閉じたのだった。

八百比丘尼がこもっていたという洞穴には石像が建てられ、椿の花が今も咲き誇っている。現在も、健康長寿を願う人々のお参りが絶えないそうだ。
八百比丘尼がこもっていたという洞穴

八百比丘尼がこもっていたという洞穴

via 写真:公益社団法人福井県観光連盟
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永山久夫

永山久夫

食文化史研究家。食文化史研究所、綜合長寿食研究所所長。元西武文理大学客員教授。古代から明治時代までの食事復元研究の第一人者。長寿食や伝統的な和食の研究者でもあり、長寿村の食生活を長年研究している。著書に『永山豆腐店 豆腐をどーぞ』『和食の起源』『日本人は何を食べてきたのか』『100歳食入門』『長寿食365日』『なぜ和食は世界一なのか』など多数。 公式

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