森鴎外も読んだ!? 明治期に大流行した男色小説の舞台とは「日本男色史巡り 第6回:伝説の男色小説『賤のおだまき』の舞台を巡る」
2017年8月24日 更新

森鴎外も読んだ!? 明治期に大流行した男色小説の舞台とは「日本男色史巡り 第6回:伝説の男色小説『賤のおだまき』の舞台を巡る」

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載『日本男色史巡り』。第6回は、あの文豪、森鴎外も読み、明治期の青少年の心をわしづかみにした伝説の男色小説『賤のおだまき』を取り上げます。南九州を舞台に、鬼島津の屋台骨を揺るがした、戦国末期の大乱「庄内の乱」を背景にした、二人の健やかで美しい若者の愛の軌跡はどこに至るのか?

黒澤はゆま黒澤はゆま

『賤のおだまき』(著者不詳)

『賤のおだまき』(著者不詳)

via 国立国会図書館デジタルコレクション

明治の男子学生が皆夢中になった!? 男色小説『賤のおだまき』

明治初期、東京の学生たちを夢中にし、大人気だった小説に『賤のおだまき』というものがありました。

当時、自身も学生だった森鴎外の自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』にも、
硬派は……平田三五郎という少年のことを書いた写本があって、それを引っ張りあって読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。鞘当がある。末段には二人が相踵(つ)いで戦死することになっていたかと思う。これにも挿絵があるが、左程見苦しい処は書いてないのである
via 『‎ヰタ・セクスアリス』森鴎外著
とあり、このなかで「平田三五郎という少年のことを書いた写本」というのが『賤のおだまき』を指しています。

森鴎外も書いている通り、『賤のおだまき』は平田三五郎という「前髪」の美少年と、その兄分で「鉢鬢奴」の𠮷田太蔵との恋と死を描いた物語です。二人は一応実在の人物で、「庄内の乱」という島津氏内の反乱を背景にしているので、歴史小説の趣きもわずかにあります。

おりしも、鈴木彰さんの訳で、現代語版の『現代語訳 賤のおだまき: 薩摩の若衆平田三五郎の物語』(平凡社)が8月16日に出版されました。

今回は、明治以来という『賤のおだまき』の再出版も記念して、平田三五郎宗次、吉田太蔵清家、二人の若者の軌跡を、戦国末期、島津氏の根幹を揺るがした大乱、庄内の乱にも触れつつ、追っていきたいと思います。

現代語訳 賤のおだまき: 薩摩の若衆平田三五郎の物語 (平凡社ライブラリー) | 鈴木 彰、笠間 千浪 | 通販

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舞台は薩摩。戦国の世に出会った無双の美少年・平田三五郎と、青年武士・吉田清家。義兄弟の契りを結び、忠義を尽くし、生死をともにした二人の物語は、男子のあるべき姿として長く読み継がれ、明治期には自由民権運動の機関誌に連載されるなど、一大ブームを巻き起こした。
この伝説的物語の現代語訳に、著者とされる「西国薩摩の婦女」を鍵として、当時の女性の教育や職業、執筆の可能性に迫る解説が追加されている。

鬼島津の屋台骨を揺るがした大乱「庄内の乱」とは!?

都之城址(宮崎県都城市)

都之城址(宮崎県都城市)

庄内の乱の本拠地となった都之城。現在は城山公園として整備され、本丸跡には都城歴史資料館が建てられている。
via https://ja.wikipedia.org/wiki/
庄内の乱は慶長4年(1599年)、筆頭家老だった伊集院忠棟の息子・忠真と、主家島津家との間で起きた戦いです。ちょうど、豊臣秀吉の死後、徳川家康と石田三成の対立が先鋭化し、関ヶ原前夜の様相を呈しだしたころです。忠真の所領が日向国庄内(現在の宮崎県都城市及びその周辺)だったため、「庄内の乱」と呼ばれています。

ちなみに、宮崎県は筆者の故郷ですが、一般に宮崎人というのは性質が温和で心根が優しいと言われています。自分を振り返っても、まったくその通りなのですが、その代わり自他に甘く、争いごとを嫌って、進取の気に乏しいのも欠点です。

一方、同じ宮崎でも、都城の風土はまったく違い、気性激しく、闘争心にあふれ、その気質はむしろ鹿児島県民の方に似ていると言われています。実際、地図を見ればわかりますが、都城は鹿児島と境を接し、旧国名で言うと、薩摩、大隅、日向のちょうど真ん中に位置しています。

南九州僻遠の地でありながら、前回紹介した藤原頼長の富強は、この地から薩日隅三州にまたがる大荘園に発展した島津荘にたよったり、そもそも島津氏はこの地が発祥の地だったりと、結構、日本の歴史にも大きな影響を与えた土地だったりします。

主家・島津忠恒 VS 家老の息子・伊集院忠真

島津忠恒

島津忠恒

via 尚古集成館
それはさておき、この乱は、次代の島津家当主・島津忠恒が、慶長4年3月9日、伏見において伊集院忠棟を誅罰したことをきっかけに起きました。父を殺されながら、忠真は主家との和睦の道を探り、当代当主で日本一といってもいい猛将・義弘も、何とか二者の間を仲裁しようとしたのですが、先代当主の義久と忠恒がともにかたくなだったため、やむなく忠真は拠点の庄内で挙兵したのです。

伊集院忠棟も忠真も歴戦の勇者で、島津氏が戦った重要な戦いのほぼすべてに参加し、特に忠真は慶長の役の際、有名な四川の戦いで、明・朝鮮兵、あわせて6500の首級をあげるという、空前の戦果をあげています。外交の面でも、秀𠮷による九州征伐の際、島津家が滅亡しなかったのは、はやくから和睦交渉を行っていた忠棟の功でした。

そんな重要な一族の長を手打ちにしたあげく、反乱を起こさざるを得ない立場に追い込んだ理由は、諸説ありますが、次のいずれかあるいはそのすべてが組み合わさった結果と思われます。

1)豊臣公儀とのつながりを重視したい義弘・忠棟と、独立独歩路線にこだわる義久・忠恒との摩擦
2)秀吉や三成と親しく、秀吉から直接庄内に封じる御朱印を受けた後は、豊臣家直臣の顔も持つようになった伊集院に対する島津の嫉妬と猜疑
3)庄内8万石を支配する伊集院の軍事的脅威(義久・義弘でさえ直轄領はそれぞれ10万石でしかない)

ただ、1)、2)、3)どれも島津氏特有の問題でもなく、特に、1)については忠棟手打ち事件の少し前に、両者の間である程度の和解がかなっているので、改名後の名前が、早世した名将の叔父「家久」と同じであることを揶揄して、悪い方の家久とか悪久とかネットで叩かれている、忠恒の衝動による、事故だったんじゃないかなという気もします。

島津オールスター揃い踏みで、戦いは泥沼化!?

いずれにせよ、攻めるもウォーモンガー島津ならば、守るもウォーモンガー島津という闘いは泥沼化。島津側は、島津忠恒、豊久、新納忠元、山田有信、北郷三久、鎌田政近、平田増宗などの島津オールスター、4万を繰り出しながら、忠棟の殺害から数え、1年以上の長きに渡って庄内を攻めあぐむのです。

これは
1)忠真自身が猛将であること
2)根来寺の元僧兵、白石永仙という名軍師の存在
3)肥後の加藤清正、飫肥の伊東祐兵など、周辺の大名のひそかな後援
4)庄内が四方を険しい山脈に守られた堅固な地勢のうえ、都之城を本城とし、恒吉城、梅北城、志和池城、梶山城、勝岡城、山之口城、月山日向城、安永城、野々美谷城、末吉城、山田城、財部城の12箇所の外城で固められていたことによるものと考えられます。

島津側は6月に庄内北端の山田城と、南端の恒吉城を落としたまではよかったのですが、そのあとは、外城を利用した忠真、永仙のゲリラ戦術に苦しめられ、戦況は膠着。それどころか、9月には功を焦った忠恒が、外城を無視していきなり都之城に攻め入ろうとして大敗北を喫します。

業を煮やした先代当主の義久は、ついに11月、自身の本拠地、富隈をたち、都之城からわずか西方一里、庄内にとっては柔い脇腹にあたる、財部城に攻めかかります。

この時、義久の率いた軍勢のなかに、平田三五郎、吉田太蔵の男色カップルの姿があったようです。

島津家中でも評判のカップルだった三五郎と大蔵

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黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

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