「日本男色史巡り 第6回:伝説の男色小説『賤のおだまき』」森鴎外も読んだ!? 明治期に大流行した男色小説の舞台を巡る
2018年3月30日 更新

「日本男色史巡り 第6回:伝説の男色小説『賤のおだまき』」森鴎外も読んだ!? 明治期に大流行した男色小説の舞台を巡る

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載『日本男色史巡り』。第6回は、あの文豪、森鴎外も読み、明治期の青少年の心をわしづかみにした伝説の男色小説『賤のおだまき』を取り上げます。南九州を舞台に、鬼島津の屋台骨を揺るがした、戦国末期の大乱「庄内の乱」を背景にした、二人の健やかで美しい若者の愛の軌跡はどこに至るのか?

黒澤はゆま黒澤はゆま

『賤のおだまき』(著者不詳)

『賤のおだまき』(著者不詳)

via 国立国会図書館デジタルコレクション

明治の男子学生が皆夢中になった!? 男色小説『賤のおだまき』

明治初期、東京の学生たちを夢中にし、大人気だった小説に『賤のおだまき』というものがありました。

当時、自身も学生だった森鴎外の自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』にも、
硬派は……平田三五郎という少年のことを書いた写本があって、それを引っ張りあって読むのである。鹿児島の塾なんぞでは、これが毎年元旦に第一に読む本になっているということである。三五郎という前髪と、その兄分の鉢鬢奴との間の恋の歴史であって、嫉妬がある。鞘当がある。末段には二人が相踵(つ)いで戦死することになっていたかと思う。これにも挿絵があるが、左程見苦しい処は書いてないのである
via 『‎ヰタ・セクスアリス』森鴎外著
とあり、このなかで「平田三五郎という少年のことを書いた写本」というのが『賤のおだまき』を指しています。

森鴎外も書いている通り、『賤のおだまき』は平田三五郎という「前髪」の美少年と、その兄分で「鉢鬢奴」の𠮷田太蔵との恋と死を描いた物語です。二人は一応実在の人物で、「庄内の乱」という島津氏内の反乱を背景にしているので、歴史小説の趣きもわずかにあります。

おりしも、鈴木彰さんの訳で、現代語版の『現代語訳 賤のおだまき: 薩摩の若衆平田三五郎の物語』(平凡社)が8月16日に出版されました。

今回は、明治以来という『賤のおだまき』の再出版も記念して、平田三五郎宗次、吉田太蔵清家、二人の若者の軌跡を、戦国末期、島津氏の根幹を揺るがした大乱、庄内の乱にも触れつつ、追っていきたいと思います。

現代語訳 賤のおだまき: 薩摩の若衆平田三五郎の物語 (平凡社ライブラリー) | 鈴木 彰、笠間 千浪 | 通販

1,296
舞台は薩摩。戦国の世に出会った無双の美少年・平田三五郎と、青年武士・吉田清家。義兄弟の契りを結び、忠義を尽くし、生死をともにした二人の物語は、男子のあるべき姿として長く読み継がれ、明治期には自由民権運動の機関誌に連載されるなど、一大ブームを巻き起こした。
この伝説的物語の現代語訳に、著者とされる「西国薩摩の婦女」を鍵として、当時の女性の教育や職業、執筆の可能性に迫る解説が追加されている。

鬼島津の屋台骨を揺るがした大乱「庄内の乱」とは!?

都之城址(宮崎県都城市)

都之城址(宮崎県都城市)

庄内の乱の本拠地となった都之城。現在は城山公園として整備され、本丸跡には都城歴史資料館が建てられている。
via https://ja.wikipedia.org/wiki/
庄内の乱は慶長4年(1599年)、筆頭家老だった伊集院忠棟の息子・忠真と、主家島津家との間で起きた戦いです。ちょうど、豊臣秀吉の死後、徳川家康と石田三成の対立が先鋭化し、関ヶ原前夜の様相を呈しだしたころです。忠真の所領が日向国庄内(現在の宮崎県都城市及びその周辺)だったため、「庄内の乱」と呼ばれています。

ちなみに、宮崎県は筆者の故郷ですが、一般に宮崎人というのは性質が温和で心根が優しいと言われています。自分を振り返っても、まったくその通りなのですが、その代わり自他に甘く、争いごとを嫌って、進取の気に乏しいのも欠点です。

一方、同じ宮崎でも、都城の風土はまったく違い、気性激しく、闘争心にあふれ、その気質はむしろ鹿児島県民の方に似ていると言われています。実際、地図を見ればわかりますが、都城は鹿児島と境を接し、旧国名で言うと、薩摩、大隅、日向のちょうど真ん中に位置しています。

南九州僻遠の地でありながら、前回紹介した藤原頼長の富強は、この地から薩日隅三州にまたがる大荘園に発展した島津荘にたよったり、そもそも島津氏はこの地が発祥の地だったりと、結構、日本の歴史にも大きな影響を与えた土地だったりします。

主家・島津忠恒 VS 家老の息子・伊集院忠真

島津忠恒

島津忠恒

via 尚古集成館
それはさておき、この乱は、次代の島津家当主・島津忠恒が、慶長4年3月9日、伏見において伊集院忠棟を誅罰したことをきっかけに起きました。父を殺されながら、忠真は主家との和睦の道を探り、当代当主で日本一といってもいい猛将・義弘も、何とか二者の間を仲裁しようとしたのですが、先代当主の義久と忠恒がともにかたくなだったため、やむなく忠真は拠点の庄内で挙兵したのです。

伊集院忠棟も忠真も歴戦の勇者で、島津氏が戦った重要な戦いのほぼすべてに参加し、特に忠真は慶長の役の際、有名な四川の戦いで、明・朝鮮兵、あわせて6500の首級をあげるという、空前の戦果をあげています。外交の面でも、秀𠮷による九州征伐の際、島津家が滅亡しなかったのは、はやくから和睦交渉を行っていた忠棟の功でした。

そんな重要な一族の長を手打ちにしたあげく、反乱を起こさざるを得ない立場に追い込んだ理由は、諸説ありますが、次のいずれかあるいはそのすべてが組み合わさった結果と思われます。

1)豊臣公儀とのつながりを重視したい義弘・忠棟と、独立独歩路線にこだわる義久・忠恒との摩擦
2)秀吉や三成と親しく、秀吉から直接庄内に封じる御朱印を受けた後は、豊臣家直臣の顔も持つようになった伊集院に対する島津の嫉妬と猜疑
3)庄内8万石を支配する伊集院の軍事的脅威(義久・義弘でさえ直轄領はそれぞれ10万石でしかない)

ただ、1)、2)、3)どれも島津氏特有の問題でもなく、特に、1)については忠棟手打ち事件の少し前に、両者の間である程度の和解がかなっているので、改名後の名前が、早世した名将の叔父「家久」と同じであることを揶揄して、悪い方の家久とか悪久とかネットで叩かれている、忠恒の衝動による、事故だったんじゃないかなという気もします。

島津オールスター揃い踏みで、戦いは泥沼化!?

いずれにせよ、攻めるもウォーモンガー島津ならば、守るもウォーモンガー島津という闘いは泥沼化。島津側は、島津忠恒、豊久、新納忠元、山田有信、北郷三久、鎌田政近、平田増宗などの島津オールスター、4万を繰り出しながら、忠棟の殺害から数え、1年以上の長きに渡って庄内を攻めあぐむのです。

これは
1)忠真自身が猛将であること
2)根来寺の元僧兵、白石永仙という名軍師の存在
3)肥後の加藤清正、飫肥の伊東祐兵など、周辺の大名のひそかな後援
4)庄内が四方を険しい山脈に守られた堅固な地勢のうえ、都之城を本城とし、恒吉城、梅北城、志和池城、梶山城、勝岡城、山之口城、月山日向城、安永城、野々美谷城、末吉城、山田城、財部城の12箇所の外城で固められていたことによるものと考えられます。

島津側は6月に庄内北端の山田城と、南端の恒吉城を落としたまではよかったのですが、そのあとは、外城を利用した忠真、永仙のゲリラ戦術に苦しめられ、戦況は膠着。それどころか、9月には功を焦った忠恒が、外城を無視していきなり都之城に攻め入ろうとして大敗北を喫します。

業を煮やした先代当主の義久は、ついに11月、自身の本拠地、富隈をたち、都之城からわずか西方一里、庄内にとっては柔い脇腹にあたる、財部城に攻めかかります。

この時、義久の率いた軍勢のなかに、平田三五郎、吉田太蔵の男色カップルの姿があったようです。

島津家中でも評判のカップルだった三五郎と大蔵

51 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【島津四兄弟の長男】弟・義弘らをまとめ、薩摩藩繁栄の礎を築いた島津義久

【島津四兄弟の長男】弟・義弘らをまとめ、薩摩藩繁栄の礎を築いた島津義久

戦国時代の島津氏を語る上で絶対に外せない島津四兄弟。輝かしい実績を持つ次男・義弘の影に隠れがちですが、長男・義久の存在こそ、島津家にとってはなくてはならないものでした。では、義久とはいったいどんな人物だったのでしょうか。彼のゆかりの地を交えながらご紹介していきたいと思います。
島津氏の家紋「丸に十文字紋」はおまじないだった?【家紋のルーツ:第1回】

島津氏の家紋「丸に十文字紋」はおまじないだった?【家紋のルーツ:第1回】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する新連載がスタート。初回は島津氏の家紋「丸に十文字紋」です。その前に使用していたという家紋や「十文字紋」の意外な由来まで、専門家ならではのお話をご紹介します。
やっぱり猫が好き!?武将ゆかりの猫寺&猫神社

やっぱり猫が好き!?武将ゆかりの猫寺&猫神社

食物や養蚕業をネズミから守るため、古くから猫と共存してきた日本。全国には猫稲荷や猫仏、猫地蔵などが多くあり、その中には武将にまつわるものもあるんです。猫好きはもちろん、歴史ファンなら訪れたい、武将にゆかりのある猫寺&猫神社をご紹介します。
【鹿児島三大行事】西郷隆盛や大久保利通も参加した!島津ゆかりの妙円寺詣りとは?

【鹿児島三大行事】西郷隆盛や大久保利通も参加した!島津ゆかりの妙円寺詣りとは?

妙円寺詣りとは、鹿児島市内から日置市伊集院町まで、約20kmの道のりを歩いて参拝する伝統行事のことです。これは、関ヶ原の戦いで敵中突破を果たした島津勢の苦難をしのび、当時の武士たちによって始められました。しかも、西郷隆盛と大久保利道も参加していたんです。今回は戦国ファンも幕末ファンも気になる、鹿児島三大行事のひとつ、妙円寺詣りをご紹介します。
九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」

九州の桶狭間!猛将・島津義弘の負けられない戦い「木崎原の戦い」

元亀3年(1572年)、現在の宮崎県えびの市付近において行われた伊東義祐と島津義弘の合戦「木崎原の戦い」(きざきばるのたたかい)。少数の兵力だった島津側が、伊東側に勝利したことから「九州の桶狭間」とも呼ばれています。
来年の大河ドラマ主人公、周年記念のあの人も!2018年建立された銅像たち

来年の大河ドラマ主人公、周年記念のあの人も!2018年建立された銅像たち

2018年もゆかりの地に続々と建てられた偉人たちの銅像。記念や節目に新しく造られることで、改めて功績を見直すきっかけにもなりますよね。そこで今回は、2018年に新設された銅像とともに、今年がどんな年だったのかを振り返ってみましょう!
ゆるカワな猫島津の退き口に家康も降参!?【ねこねこ日本史】あそべ!島津四兄弟:後編

ゆるカワな猫島津の退き口に家康も降参!?【ねこねこ日本史】あそべ!島津四兄弟:後編

アニメも大人気!そにしけんじさんの”擬ねこ化”歴史コミック『ねこねこ日本史』から、ついに島津四兄弟が猫になってユカリノに登場!関ヶ原の戦いでの島津の退き口、ゆるカワな猫島津の戦いぶりには家康も降参? また、猫好きの聖地・仙巌園の猫神神社では「ねこねこ日本史」×「島津四兄弟」の最愛コラボ企画も決定!
可愛すぎる鬼“猫”島津登場!?【ねこねこ日本史】あそべ!島津四兄弟:前編

可愛すぎる鬼“猫”島津登場!?【ねこねこ日本史】あそべ!島津四兄弟:前編

アニメも大人気!そにしけんじさんの”擬ねこ化”歴史コミック『ねこねこ日本史』から、ついに島津四兄弟が猫になってユカリノに登場!あの釣り野伏戦法や、鬼島津と呼ばれた義弘公たち四兄弟の戦いぶりを、ゆるく可愛く紹介します。
偉人の銅像も!ご当地の歴史が学べる人気「道の駅」5選

偉人の銅像も!ご当地の歴史が学べる人気「道の駅」5選

ご当地の特産品やグルメを楽しむことができ、ドライブの途中で立ち寄れる人気観光スポット「道の駅」。なかにはその土地の歴史を紹介する施設が併設されている道の駅もあるんですよ。今回は「歴史も学べる道の駅」を全国から厳選!夏休みの旅行の際に、ぜひ利用してみてはいかがでしょうか。
鹿児島の歴史を正しく楽しく!仙巌園学芸員・岩川氏【ゆかりの案内人|第1回】

鹿児島の歴史を正しく楽しく!仙巌園学芸員・岩川氏【ゆかりの案内人|第1回】

ご当地で歴史を伝え続けている「人」に注目する特集。第1弾は、2018年大河ドラマ『西郷どん』の舞台、鹿児島県にある名勝 仙巌園の学芸員・岩川拓夫氏に注目。自身も鹿児島出身である岩川氏は、地元鹿児島の歴史を新しい形で発信することをモットーに幅広く活動している。その活動内容や、今後の展望を教えていただきました。