可児才蔵ゆかりの地、広島市の才蔵寺に伝わる意外な合格祈願とは?
2018年6月24日 更新

可児才蔵ゆかりの地、広島市の才蔵寺に伝わる意外な合格祈願とは?

槍の使い手として知られた、戦国通好みの豪傑・可児才蔵。その可児才蔵ゆかりの地・広島県広島市にある才蔵寺には合格祈願で有名なお地蔵様がいるのをご存知でしょうか。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

「笹の才蔵」こと可児吉長

才蔵が生まれ育った美濃可児郡にある大寺山願興寺

才蔵が生まれ育った美濃可児郡にある大寺山願興寺

可児才蔵の本名は「可児吉長」と言い、「才蔵」は通称です。天文23(1554)年に美濃国可児郡に生まれました。
宝蔵院流槍術を学んだ彼は、槍の使い手として名を馳せるようになります。柴田勝家、明智光秀、前田利家、織田信孝のほか、森長可に仕えたこともあると伝わっています。

その後、豊臣秀次にも仕えましたが、小牧・長久手の戦いの際に対立し、浪人となりました。逃げる際に馬で通りかかった才蔵を徒歩の秀次が呼び止め、馬をよこせと求めると、才蔵は「これは雨の日の傘に候(=雨の日の傘のように今の自分に必要なものなので譲れません)」と答えて走り去ってしまったことが亀裂を生んだとか。

しかし彼の武勇は知れ渡っており、最終的には福島正則に仕えるようになりました。
福島正則

福島正則

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで、才蔵は福島軍の先鋒隊長として参加します。
才蔵は、関ヶ原の戦いで17(20とも)もの首を挙げたといいます。全部の首を持ってくるのは重すぎるので、彼は首の口に笹の葉を含ませて目印としました。取った首の数は自己申告制だったので、これが手堅い証拠となったわけです。
また、背負う旗指物を笹にしていたため、これらのことから「笹の才蔵」との異名を取りました。
『笹の才蔵』らしく背中に笹を指している可児才蔵(関ケ原...

『笹の才蔵』らしく背中に笹を指している可児才蔵(関ケ原合戦図屏風)

主君の安芸広島転封に従った才蔵は、慶長18(1613)年に60歳でこの世を去ります。
自身の予言通り、信仰していた愛宕権現の縁日当日に、甲冑を着けて床机に座った姿で亡くなったと伝わっています。

ゆかりの地・才蔵寺に伝わるミソ地蔵とは?

才蔵寺に平成16年建立された可児才蔵の石像。

才蔵寺に平成16年建立された可児才蔵の石像。

広島県広島市には、才蔵を祀る才蔵寺があります。
福島家が改易になった際に戦いに備え味噌を集めたことにちなんで、境内にはミソ地蔵がいるのですが、ちょっと変わったお地蔵様参りが伝わっているんですよ。

それは、ミソ地蔵の頭に願い事を書いた紙を貼った味噌の袋を載せて拝み、それから自分の頭に乗せると願いが叶うというもの。
ミソ地蔵が脳の病などに効果があるということ、ミソが脳みそに通じることから、今では合格祈願の受験生も多く訪れるそうです。
才蔵の好物が味噌だった、味噌作りを才蔵が広めたなど、彼と味噌との関わりについては多くの伝承があるようです。
また、「みそ合戦」なる伝説もあります。攻め込まれた際に敵に熱い味噌汁をぶっかけたり、兵糧攻めにされた際には「お地蔵様に、味噌と米を載せた笹の葉を供えておけば願いが叶う」という噂を才蔵が広めさせて兵糧をゲットしたり、なんて伝説もあるのだとか。
試合を申し込まれても実戦の装いで現れ、「自分の試合はすべて実戦だ」といった豪傑ぶりが伝わる可児才蔵。ぜひ彼のゆかりの地を訪れ、そのスケールの大きさに触れてみたいですね。

(xiao)
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