【徳川家康を支え、戦い続けた】戦国一の猛将・本多忠勝ゆかりの地
2017年12月1日 更新

【徳川家康を支え、戦い続けた】戦国一の猛将・本多忠勝ゆかりの地

徳川家康を支えた四天王のひとり・本多忠勝。生涯、57回もの戦に出陣しながらも、かすり傷ひとつ追わなかったという伝説を持ち、その強さは、敵味方問わず賞讃と尊敬の的となった猛将です。名槍・蜻蛉切を携え、戦場を駆け巡った忠勝のゆかりの地を、彼の生涯と戦歴とともにご紹介していきたいと思います。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

本多忠勝

本多忠勝

良玄寺蔵

この肖像画は、関ヶ原合戦後、争いのない時代となり自分の活躍の場がなくなったことを嘆いた忠勝が、絵師に甲冑姿の肖像を描くように命じたといわれています。また、完成させるまでに7~8回やり直しさせたとも……そんなこだわりの1枚は、千葉県立中央博物館大多喜城分館に収蔵されています。

「初首」からただ者ではなかった忠勝

本多忠勝は、1548年(天文17)、松平家(徳川本家)の譜代家臣・本多忠高の長男として、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)に誕生しました。父は早くに亡くなったため、叔父・忠真の元で育ちます。

忠勝が生まれた西蔵前町には、「本多忠勝誕生地」という碑と、市による説明板が設置されています。民家の敷地内なので、気をつけてご見学ください。
周辺には駅がないので、車で行くか、愛知環状鉄道線大門駅からタクシーで行くか……といった感じです。しかし、忠勝フリークには見逃せない場所といえるでしょう。
本多忠勝誕生地(愛知県岡崎市)

本多忠勝誕生地(愛知県岡崎市)

愛知環状鉄道線大門駅から車で10分。
忠勝の初陣は1560年(永禄3)、桶狭間の戦いの前哨戦となった大高城への兵糧入れの時でした。この時同時に元服。当時、家康はまだ今川方でした。

ちなみに「初首」は14歳のとき。忠真の部隊に属していた忠勝は、槍で敵兵を刺していた忠真に、「この首を取って戦功にしろ」といわれます。忠勝は「我何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや(人の力を借りて武功を立てようとは思いません)」といい、自ら敵陣に駆け入り、敵の首を挙げたそう。周囲はこの時から、忠勝の「ただ者ではない感」を感じ取っていたそうです。

数々の戦場で破竹の快進撃!

初陣後の忠勝は、家康に従い各地を転戦し、数々の武功を挙げ、やがて名将と呼ばれるようになります。また、1563年(永禄6)の三河一向一揆の際は、本多一族の多くが一揆側に付く中、忠勝は家康を支え続けました。

1570年(元亀元)、織田信長と同盟していた家康は、浅井長政・朝倉義景連合軍と激突します。これが姉川の戦いです。

単騎駆けを敢行した姉川の戦い

血原にある姉川古戦場跡の碑(滋賀県長浜市)

血原にある姉川古戦場跡の碑(滋賀県長浜市)

JR長浜駅からバスで20分、「野村橋」下車、徒歩6分。
via (公社)びわこビジターズビューロー
姉川の戦いは、最初は浅井・朝倉連合軍が優勢でした。
しかしそこで忠勝が、朝倉軍に向かって単騎駆けを敢行したんですね。これが反撃のきっかけとなり、相手を敗走させたそうです。

滋賀県長浜市にある姉川古戦場はとても広く、各地に碑があります。その中でも、徳川軍と朝倉軍がぶつかった場所は、古戦場碑から国道365号線を渡り、姉川沿いに西に行った「血原」付近とされています。ここにはちはら(血原)公園があり、石碑もありますよ。

「家康に過ぎたるもの」と呼ばれた一言坂の戦い

一言坂の戦跡の碑(静岡県磐田市)

一言坂の戦跡の碑(静岡県磐田市)

JR磐田駅からバスで5分、「加茂川」下車、徒歩20分。
家康にとっての最大の敵は、武田信玄でした。信玄の西上作戦により、家康の拠点は切り崩され、1572年(元亀3)に起きた二俣城の戦い、三方ヶ原の戦いで大きな敗北を味わうことになるのです。

その二俣城の戦いの前哨戦が、一言坂の戦いでした。
偵察に出た忠勝は、そこで武田の先発隊と遭遇します。しかし彼は殿を引き受け、死兵となるのを辞さず敵中突破を図りました。そのすさまじさは、敵方・小杉左近に退路を譲らせるほどでした。

「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭に 本多平八」という狂歌は、ここで左近が詠んだものといわれています。忠勝の強さに敵も脱帽したわけです。

静岡県磐田市には「一言坂の戦跡」という石碑がありますが、本来の一言坂はここからすぐ北の坂をさします。

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