あの名刀に会いに行こう!野心に満ちた軍師・黒田官兵衛ゆかりの地めぐり
2016年12月22日 更新

あの名刀に会いに行こう!野心に満ちた軍師・黒田官兵衛ゆかりの地めぐり

歴史好きなら「黒田官兵衛」の名を聞いたことがない人はいないはず。豊臣秀吉の軍師として重用されるも恐れられた異才の武将です。2014年大河ドラマの主役にもなった官兵衛ゆかりの地を巡ってみましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

黒田官兵衛という名軍師

出家後に「如水」と号した官兵衛。キリシタンでもあった。

出家後に「如水」と号した官兵衛。キリシタンでもあった。

天文15(1546)年、官兵衛は黒田職隆の嫡男として播磨国(兵庫県)姫路に生まれました。最初は小寺政識に仕えて小寺姓を名乗り家老職を継ぎます。その後織田信長や豊臣秀吉に仕え、竹中半兵衛と並ぶ智将として秀吉に重用されました。
秀吉が天下を取ると、官兵衛は豊前国(福岡県)を与えられた後、息子・長政に家督を譲り隠居します。関ヶ原の戦いでは、九州で西軍勢力と戦い功績を挙げました。
実は天下を狙っていたとも言われるほど謀略に長けた武将だった彼の生涯は、彼のゆかりの地である兵庫や九州で辿ることができます。

今回ご紹介する軍師・黒田官兵衛ゆかりの地はこちら

・黒田家はここから始まった!広峯神社(兵庫県)
・官兵衛も住んでいた太宰府天満宮(福岡県)
・官兵衛が築城した水城・中津城(大分県)
・血塗られた歴史に官兵衛の謀略が!?合元寺(大分県)
・官兵衛が眠る崇福寺(福岡県)

黒田家はここから始まった!広峯神社(兵庫県)

黒田家とは縁が深い、兵庫県姫路市広峰山にある広峯神社。

黒田家とは縁が深い、兵庫県姫路市広峰山にある広峯神社。

官兵衛の祖父・重隆は備前福岡から播州姫路に移住してきた際、広峯神社の御師(社家)が重隆の聡明さを見込み、神社の御札と一緒に黒田家秘伝の目薬を配ることにしました。これが好評で重隆は財を成し、その評判によって仕官の道が開けたと伝わっています。
官兵衛の叔父・小寺休夢は広峯神社と親しく、彼の所に学問をしに行っていた官兵衛にとっても、広峯神社は幼い頃の思い出に残っているのではないでしょうか。

官兵衛も住んでいた太宰府天満宮(福岡県)

学問の神様・菅原道真公を祀る太宰府天満宮ですが、福岡城内の居館が完成するまで官兵衛はここに住んでいました。当時荒廃していた天満宮は官兵衛の援助によって復興し、彼は中興の祖と呼ばれています。
官兵衛の寄進によって再興した太宰府天満宮

官兵衛の寄進によって再興した太宰府天満宮

境内には茶の湯を嗜んだ官兵衛が使ったという「如水の井戸」が残っています。ここで茶の湯や連歌会を催して、官兵衛はひとときの安らぎを味わったわけですね。

官兵衛が築城した水城・中津城(大分県)

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