銅像も〝クソまじめ〟な石田三成とその仲間たち「ニッポン銅像探訪記 第9回:関ヶ原関連武将」
2017年8月25日 更新

銅像も〝クソまじめ〟な石田三成とその仲間たち「ニッポン銅像探訪記 第9回:関ヶ原関連武将」

「9月15日は何の日?」と聞かれて答えられないあなたは、歴史好きとしてモグリです。そう、関ヶ原の戦いの決戦日ですね。今から417年前の旧暦の9月15日、美濃国(岐阜県)関ヶ原において戦国時代最大の合戦が勃発しました。毎年10月に「関ヶ原合戦祭り」が開催されるのは戦国ファンのよく知るところですが、今年は岡田准一主演の映画『関ヶ原』が公開されることもあり、にわかに盛り上がっています。今回は、石田三成を中心に関ヶ原参戦武将の銅像をたどってみましょう。

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

西軍リーダーの石田三成は銅像も「実直」「誠実」

豊臣秀吉と幼き石田三成の「出逢い像」。

豊臣秀吉と幼き石田三成の「出逢い像」。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
〝天下分け目〟と称される関ヶ原の戦い。東軍の大将である徳川家康は、豊臣秀吉死後の豊臣政権を乗っ取る気満々だったわけですが、西軍を率いた石田三成はもちろん自分の天下を望んでいたわけではありません。彼の目的は、自分を高く取り立ててくれた秀吉に報いるために、豊臣政権を家康の魔手から守ることにありました。
 
 三成の銅像は、滋賀県北東部、長浜と彦根の周辺に3体あります。まずは長浜駅前に立つ、秀吉と佐吉(三成の幼名)の「出逢い像」。銅像を見てすぐにピンとくるとおり、この銅像は「三献茶」の逸話をモチーフにしたもの。このエピソードは歴史好きなら言わずもがなだと思いますが、念のため。まだ秀吉が信長の家臣で長浜城主だった頃、秀吉は鷹狩りの帰り道に観音寺に立ち寄りました。観音寺に奉公していた佐吉は、1杯目は喉を潤すためにぬるめの湯をたっぷりと、2杯目は飲みやすいやや熱い湯を、3杯目は熱い湯を秀吉に差し出しました。この気遣いに感激した秀吉は、小姓として佐吉を迎え入れた、というあの話です。
1981年に長浜駅前に設置された。なお、1981年の大...

1981年に長浜駅前に設置された。なお、1981年の大河ドラマは『おんな太閤記』だが、関係があるかどうかは不明。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
聡明で生真面目な顔をしている三成。

聡明で生真面目な顔をしている三成。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
2体目は、長浜市の東部にある石田町に立ちます。今度は町名を聞いてピンとくるとおり、この町は三成の出生地。今も三成の産湯の井戸や石田一族の供養塔などが残り、町外れには三献茶の舞台である観音寺も建ちます。この町の一角に立つ三成像は、まるで江戸時代の官僚か学者かというような裃(かみしも)姿。戦国武将の銅像は甲冑姿がスタンダードなのですが、そのずば抜けた官僚的才覚と裏方センスによって秀吉の天下統一事業を支え続けた三成には、甲冑よりも正装がふさわしいということでしょうか。
出生地跡に立つ三成像。戦国武将らしからぬ肩衣に袴という...

出生地跡に立つ三成像。戦国武将らしからぬ肩衣に袴という出で立ち。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
顔は、発掘された本人の頭蓋骨を参考に鋳造されたという。

顔は、発掘された本人の頭蓋骨を参考に鋳造されたという。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
裃姿の三成像をもう1体。秀吉の天下統一後、三成は佐和山19万石を与えられ、佐和山城主となります。その佐和山城の山麓に建つ龍潭寺にも三成の銅像がたたずみます。誠実そのものな眼差し。三成の実直さをよく表していますが、銅像としての面白味はというと……。個を押し殺して秀吉に尽くし、ただ豊臣家のために挙兵して関ヶ原に望んだ三成の生き様を、この銅像は象徴しているのかもしれません。
龍潭寺境内の三成像。次に三成の銅像が造られるとしたら、...

龍潭寺境内の三成像。次に三成の銅像が造られるとしたら、黄金に輝く前立てに黒髪乱髪の甲冑姿を希望。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
三成が城主だった佐和山城。関ヶ原後、徹底的に破壊され、...

三成が城主だった佐和山城。関ヶ原後、徹底的に破壊され、建物や石垣は彦根城築城に転用された。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

三成を支えた小西行長と宇喜多秀家の運命

宇土城跡の小西行長像。没後380年を記念して建造された。

宇土城跡の小西行長像。没後380年を記念して建造された。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
三成とともに、西軍の主力として戦った武将を紹介しましょう。まずはキリシタン大名として知られる小西行長。元々は商人の出ですが、三成同様にその才覚を秀吉に買われて側に仕え、朝鮮出兵でも先鋒を務めました。関ヶ原の戦いでは西軍陣地のほぼ中央に陣取り、激しい戦いを繰り広げるも敗戦。落ち延びた伊吹山山中で捕らわれ、三成や安国寺惠瓊とともに斬首となります。江戸時代以降、仏教や神道を弾圧した奸物と蔑まれていましたが、近年では再評価する声もあります。

 行長の銅像があるのは、熊本県の宇土城。行長自らが設計した居城の本丸跡に立つ行長像は、日本刀を携え、首から十字架を下げています。甲冑の上に羽織・袴を纏った姿は、商人出身ながら戦場に生きた行長の矜恃が感じられます。
完成したばかりの頃は、地元民からの設置反対運動があり、...

完成したばかりの頃は、地元民からの設置反対運動があり、2年間トタン屋根がかぶせられていた。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
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滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

かみゆ歴史編集部は「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。最近の編集制作物に『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』(学研プラス)、『開運・日本の神社と御朱印』(英和出版社)、『日本の山城100名城』(洋泉社)など。代表の滝沢は講演や講座、メディア出演も行う。 公式

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