大坂夏の陣ゆかりの地を巡る歴史ミステリー【天王寺・幸村終焉の地編】
2017年5月7日 更新

大坂夏の陣ゆかりの地を巡る歴史ミステリー【天王寺・幸村終焉の地編】

真田幸村ら豊臣恩顧の武将たちが徳川の大軍に立ち向かった、戦国最後の戦い「大坂夏の陣」。1615(慶長20)年5月7日は天王寺・岡山の戦いの日にあたります。歴史エッセイストの堀江宏樹さんが夏の陣ゆかりの地を巡り、いまだ秘められた謎に迫る本連載。第2弾は「天王寺・幸村終焉の地」編です。

堀江宏樹堀江宏樹

ついに激突! 幸村VS家康

『家康大仁村難戦之図』

『家康大仁村難戦之図』

1615(慶長20)年5月7日、徳川方は家康軍が天王寺口、秀忠軍が岡山口に備え、二方向から攻め込む体勢を整えます。それに対し豊臣方は、天王寺口に真田幸村、毛利勝永、大野治長、岡山口は大野治房らが固めます。
徳川方の軍勢が15万5000に対し、豊臣方は5万5000と3分の1にも満たなかったものの、戦いは豊臣方が優勢。烏合の衆だった徳川方は後方から崩れ、家康も切腹を覚悟したと伝わっています。

しかし、真田隊は3度に渡って家康の本陣へ突入を試みたものの、家康の前衛にいた松平忠直隊に阻まれてしまいます。そしてついに、忠直の鉄砲頭である西尾久作によって討ち取られてしまうのです。

夏の陣最大の決戦地、天王寺を歩く

意外にもなだらかな天王寺の道

天王寺までの坂

天王寺までの坂

道がなだからにせよ波打っているのがおわかりでしょうか?
現在の天王寺駅から、四天王寺にかけての界隈は、大坂夏の陣の激戦地だった場所です。

現在ではかなりの繁華街・ビル街であり、当時の面影を想像することはできませんが、天王寺駅から四天王寺にかけ、一直線につづいている道路から一本でも奥に入ると、たしかに「多少」、土地が今でも波打っていることがわかります。

多少、というのは東京の山の手地区の坂道のけわしさに馴れている身には、天王寺の土地の起伏はむしろなだらかだとさえ思ってしまうからなんですが、大昔は川だったというこの地形を生かすように、武将たちは陣を構えていたそうです。

低すぎて怖い!? 家康の陣のあった茶臼山

茶臼山

茶臼山

via 堀江宏樹
天王寺駅から四天王寺の方向にだいたい15分くらい歩けば、茶臼山に到着です。標識が出ているのですぐにわかります。茶臼山はもともと古墳だったそうですが、夏の陣当時、徳川家康の本陣が置かれていました。

筆者が注目したいのは茶臼山のなだらかさ、でした。

1615年5月7日、つまり大坂夏の陣末期において真田幸村(信繁)らが猛突撃を何度も繰り返した結果、陣は乱れに乱れ、家康もいったんは自害を考えるほど追い詰められた…などといいます。

書物上の記述では「ふーん」と思っていましたが、実際、現代の茶臼山を登ってみると、ほんとうになだらかな小さな山程度のものであり、ほんとにこんなところに家康は本陣を置いて大丈夫だったのか? というようなことを考えました。
山頂の石碑

山頂の石碑

山頂には大阪城への方角を示した石碑があり、そこには葵の御紋がついてていました。「真田押し」で真っ赤にそめられた現在の茶臼山近辺では珍しい徳川方の印のひとつのような…。
via 堀江宏樹
茶臼山の途中から山頂を見た光景

茶臼山の途中から山頂を見た光景

道は舗装されているので、車椅子の方も、押し手がしっかりしていれば登山(?)可能かも。
via 堀江宏樹
すそ野から命がけで猛攻撃をかけられたら、一気に駈け上ってこられるレベルの坂しかありません。またもし、そういう事態になったら本当に人力=マンパワーで防ぐしかありません(実際に真田が攻めてきたわけですが)。

幸村にとっては文字通りの背水の陣ですから、気迫も異常だったでしょう。そんな彼らに攻めこまれては家康にとっては「赤い津波」に巻き込まれてしまったような恐ろしさがあったでしょうし、大将らしくデーンと構えて静かに座っていられる雰囲気ではなかったのは想像に難くないです。

臆病者ではなくても、死を覚悟し、弱気になってしまうだろうなぁと思ってしまいました。家康は若い頃から味方が劣勢だと、指を噛む…つまり爪を噛むくせがあったそうですが、夏の陣のときには、両手の指を咥えてしまっていたのではないでしょうか。

家康の墓があるといわれる堺・南宗寺の方向に向かって家康が駕籠にのって逃げ出す…なんてことも地形的には十分ありうる…そんな気にもなりましたよ。
幻想的な四天王寺の夕景

幻想的な四天王寺の夕景

聖徳太子ゆかりの四天王寺。また、夕方の天王寺を訪ねるツアーなどもあるようです。
via 堀江宏樹
大坂方の大野治長の陣は、四天王寺の中に張られていたとか。

現在の四天王寺は夕方以降に訪れても、境内を散策して回ることができます。五重塔はライトアップされていますし、これからの季節の夕方はとくに幻想的な雰囲気が楽しめるでしょう。
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堀江宏樹

堀江宏樹

歴史エッセイスト。 2017年の文庫化・新作は 『乙女の美術史 世界編』(角川文庫)7月25日発売 『本当は恐い日本史(仮)』(三笠書房)9月発売予定 『偉人たちのウソ名言(仮)』(PHP)11ー12月発売予定 近著に 『本当は恐い世界史』(三笠書房)、文庫版『乙女の美術史 日本編』(角川書店)、文庫版『愛と夜の日本史スキャンダル』、『三大遊郭』(幻冬舎)、『乙女の真田丸』(主婦と生活社)などがある。 公式

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