2018年NHK時代劇で話題!『解体新書』杉田玄白ゆかりの地
2017年9月13日 更新

2018年NHK時代劇で話題!『解体新書』杉田玄白ゆかりの地

2018年に放送されるNHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」。三谷幸喜さんの脚本とあって、期待が高まっている人も多いのでは?今回は主人公のひとりで、享保18年(1733)9月13日に生まれた杉田玄白の生涯とゆかりの地を紹介します。『解体新書』はどのように生まれたのか?前野良沢や平賀源内との関係とは?放送前にチェック!

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

杉田玄白の生涯とゆかりの地

杉田玄白

杉田玄白

via https://ja.wikipedia.org/wiki/
杉田玄白は享保18年(1733)9月13日、江戸牛込矢来の小浜藩下屋敷で生まれました。若狭国小浜藩は現在の福井県小浜市にあたります。
杉田玄白誕生の碑

杉田玄白誕生の碑

杉田玄白が生まれた小浜藩下屋敷があった矢来公園(東京都新宿区)。屋敷の周囲に竹矢来をめぐらせたことから、矢来町の名が付けらた。
玄白の父の杉田甫仙(ほせん)はオランダ流医学を学んだ藩医でしたが、本格的に医学を学ぶようになったのは玄白が17歳の時、オランダ流外科医の西玄哲(にしげんてつ)の門に入ってからでした。本人が希望して、父がそれを許可したと言われています。

西玄哲は当時幕府の奥医師をしており、高輪の二本榎(麻布の六本木だという説もあり)に住んでいました。玄白は牛込の矢来から、連日玄哲のもとに通い、医学を学びました。その甲斐あって、宝暦2年(1752)には主君のいる上屋敷に藩医として通うようになりました。

『ターヘル・アナトミア』との出会い

『解体新書』の原書『ターヘル・アナトミア』

『解体新書』の原書『ターヘル・アナトミア』

via https://ja.wikipedia.org/wiki/
明和8年(1771)39歳のときに、小塚原(こづかっぱら)刑場での腑分け(解剖)に、玄白と同郷の蘭方医・中川淳庵、そして豊前国中津藩(大分県中津市)の藩医・前野良沢らで立ち会います。

この時、良沢が持参したオランダの医書『ターヘル・アナトミア』が極めて正確なことを知って驚き、その翻訳を思い立ちました。さっそく良沢らと豊前中津藩中屋敷で会読(読書会)を始めますが、この時玄白は、オランダ語はほとんどわからなかったそうです。オランダ語の知識が豊富な良沢が中心となって翻訳を進めました。
小塚原刑場の首切地蔵

小塚原刑場の首切地蔵

江戸時代から明治時代初期まで存在した刑場
via https://ja.wikipedia.org/wiki/
満足な辞書もない時代、翻訳はかなり苦労したようで、「眉というものは眼の上方にあるものなり」という一文すら、丸一日かかってもわからないほどだったと言います。

それでも1ヶ月に7回ほど集まって勉強し、動物の解剖を行ったり、通訳の者に聞いたりしながら、11回もの書き直しと足かけ3年の歳月をかけ、安永3年(1774)8月、『解体新書』5巻を完成させました。

なお、玄白たちが翻訳作業に励んだ中津藩の江戸屋敷は、現在の中央区明石町にあり、「蘭学事始の地」として碑が建っています。また、安政5年(1858)に、福沢諭吉が藩命により蘭学の福沢塾(後の慶応義塾)を開いた地でもあります。
『解体新書』

『解体新書』

via 適塾蔵
その後玄白は、安永5年(1776)、藩の中屋敷を出て、近隣の旗本・竹本権兵衛から土地を借り、そこで開業するとともに「天真楼」と呼ばれる医学塾を開きました。玄白は外科に優れ、晩年には藩から加増を受けて400石に達しました。

『解体新書』の苦労話に福沢諭吉が感動!

『蘭学事始』

『蘭学事始』

via https://ja.wikipedia.org/wiki/
『解体新書』の翻訳がいかに大変だったかは、『蘭学事始』に記されています。
元は玄白が83歳の時、弟子の大槻玄沢に送った手記でした。江戸時代は写本のみで伝わりましたが、幕末の頃にこの写本を読んだ福沢諭吉が泣いて感動し、学問の継承、保存の為にこの本を世に出版。一般に読まれるようになりました。

文化14年(1817)年6月1日、玄白は85歳で死去します。玄白の墓は虎ノ門の栄閑院(通称・猿寺)にあり、墓碑には「九幸杉田先生之墓」(幸と杉は旧字)、9つの幸せに恵まれたと記されています。
29 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

ユカリノ編集部

ユカリノ編集部

全国各地の「ゆかりの」エピソードをほぼ毎日お届け。知ればもっと行きたくなる、歴史の聖地巡礼へご案内します! 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【将門首塚、四谷怪談、番長皿屋敷……】江戸のミステリースポットで肝だめし⁉︎

【将門首塚、四谷怪談、番長皿屋敷……】江戸のミステリースポットで肝だめし⁉︎

夏といえば聞きたくなるコワイ話。東京には古くは平将門の首塚や、『四谷怪談』『番長皿屋敷』など、江戸時代の有名な怪談のゆかりの地が残されています。怪談、首塚、幽霊から妖怪まで、今回は東京のミステリースポットをご紹介。まだまだ暑い日が続く中、都会の真ん中でひんやり、肝だめし体験しちゃいましょう!
干支にちなんだ犬作品に釘付け!歴史好きモデル・加治まやが東京国立博物館に初もうで

干支にちなんだ犬作品に釘付け!歴史好きモデル・加治まやが東京国立博物館に初もうで

ただいま東京国立博物館にて、お正月の恒例企画「博物館に初もうで」が2018年1月28日(日)まで開催されています。戌(いぬ)年の今年は、干支にちなんで犬にまつわる作品を集めた特集展示「博物館に初もうで 犬と迎える新年」に、国宝など貴重な作品が見られる新春特別公開も展開。日本の美術や歴史が大好きなモデル・加治まやさんが、展覧会の見どころをご紹介します。
意外な場所に○○が!?創設者・福沢諭吉の軌跡が残る慶応義塾大学三田キャンパス

意外な場所に○○が!?創設者・福沢諭吉の軌跡が残る慶応義塾大学三田キャンパス

慶應義塾大学創設者であり、『学問のすゝめ』の著者で知られる福沢諭吉。1万円札の肖像でもおなじみですね。東京都港区にある慶應義塾大学の三田キャンパス内やその周辺には、諭吉ゆかりの地が多数あります。受験シーズンも近い今、キャンパス見学も兼ねて、探索してみませんか?
【明治を代表する洋館建築】三菱財閥3代目・岩崎久弥と旧岩崎邸庭園

【明治を代表する洋館建築】三菱財閥3代目・岩崎久弥と旧岩崎邸庭園

岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長の久弥の本邸として造られた旧岩崎邸庭園(東京都台東区)。特に洋館は、鹿鳴館の建築家として知られるジョサイア・コンドルの設計で、様々な様式が織り交ぜられた繊細なデザインが特徴です。また、併置された和館との巧みなバランスや別棟のビリヤード室など、見どころ満載。そんな明治を代表する貴重な建築・旧岩崎邸庭園の見どころをご紹介します!
徳川家康の生涯とゆかりの地まとめ

徳川家康の生涯とゆかりの地まとめ

江戸幕府の初代征夷大将軍・徳川家康。信長、秀吉とともに三英傑の一人とされ、日本人なら知らない人はいないのではないでしょうか。近年、大河ドラマでの人気も相まって、イメージも変わりつつある家康。この機会に、改めてその偉大過ぎる軌跡をたどってみてはいかがでしょうか。
【 忠臣蔵・赤穂浪士四十七士】港区・泉岳寺に48人の墓がある理由

【 忠臣蔵・赤穂浪士四十七士】港区・泉岳寺に48人の墓がある理由

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、主君・浅野内匠頭の仇討ちに、大石内蔵助が率いる赤穂浪士47名は、吉良上野介の屋敷に討ち入りを行いました。この事件を題材に作られた演目「仮名手本忠臣蔵」は、江戸時代中期から現在に到るまで、舞台にドラマ、映画となり、人気を博しています。今回は、歴史をテーマにした街歩きガイドを務める岡田英之さんが、赤穂浪士たちが預けられた地と、彼らが眠る泉岳寺の墓の謎について紹介します。
あの歴史上の偉人も!松坂屋の歴史がわかる企画展が松坂屋名古屋店で開催

あの歴史上の偉人も!松坂屋の歴史がわかる企画展が松坂屋名古屋店で開催

「上野フロンティアタワー」として新たに生まれ変わった松坂屋上野店。その安永元年(1772年)の様子が描かれた浮世絵『安永元年 上野店店内見取り図』を読み解く企画展が、平成29年11月25日(土)~平成30年2月20日(火)松坂屋名古屋店にて開催されます。皆さんもご存知の松坂屋ですが、実はあの有名な歴史上の人物たちも意外なゆかりがあるのをご存じでしょうか。
【利家&まつ、龍馬&おりょう…】あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

【利家&まつ、龍馬&おりょう…】あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

11月22日は「いい夫婦の日」ですね。歴史上にもおしどり夫婦と呼ばれるカップルがいますが、みなさんは、誰に憧れますか?戦国の動乱を夫婦の絆で乗り越えた利家とまつ、追われる夫の危機を救った幕末を代表する夫妻・龍馬とおりょうなど、今回は時代を超えて親しまれるおしどり夫婦5組のゆかりの地をお届けします。ぜひ、その地をめぐって幸せなふたりにあやかりましょう♪
【本当は優しかった?】「平将門の乱」と平将門ゆかりの地

【本当は優しかった?】「平将門の乱」と平将門ゆかりの地

怨霊伝説で有名な平将門。実は日本史上に大きな業績を残しています。平安時代に武士団の脅威を朝廷に知らしめて貴族の社会から武士の社会へと移行するきっかけを作り、戦国時代には当たり前の騎馬戦の始まりも将門軍だったといいます。また怨霊のイメージとはうらはらに、とても優しい人物だったようです。将門の業績と怨霊化の要因となった「平将門の乱」と、加護のパワーを持つとされる将門ゆかりの地をご案内いたしましょう。
【徳川家康最大の悲劇!?】「信康事件」と信康ゆかりの地

【徳川家康最大の悲劇!?】「信康事件」と信康ゆかりの地

天正7年(1579)8月、織田信長の命令のもと、家康が嫡男・信康を切腹させたといわれる「信康事件」。さまざまな説が唱えられる中、最近では、徳川家臣団の分裂を避けるため、家康がやむを得ず下した決断だったともいわれています。今回は、この痛ましい事件の主人公・信康に焦点をあて、短い人生の軌跡を辿りながら、ゆかりの地をご紹介します